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大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - 1994年7月26日)は沖縄県那覇市出身の俳優、脚本家、演出家、舞踊家。沖縄芝居の大御所として知られ、沖縄俳優協会会長もつとめた。なお、「大宣見小太郎」「大宜味小太郎」等と誤記されることも多い。 生誕時の本名は、當間朝義(幼名太郎)。やがて、沖縄芝居の役者の、大宜見朝良の養子に入り、本名「大宜見朝義」となった。さらに、当時の役者には、「太郎」と名乗る者が多かったことから、「大宜見小太郎」を芸名にした。〔週刊 上原直彦 2003年10月30日 〕また、南一郎のペンネームで200本以上の脚本を書いている。 妻は女優の大宜見静子。 == 略歴 == 小学生時代から子役として活躍する。 1940年に大阪に赴き「琉球演劇舞踊団」を結成。大阪在住の沖縄人向けに、沖縄芸能を上演した。 戦後、1946年に沖縄に戻り、1949年に「大伸座」を結成。曾我廼家十吾・渋谷天外らの家庭劇の『丘の一本杉』を沖縄芝居に改作した人情喜劇『丘の一本松』で、頑固者の鍛冶屋の親父を演じて人気を博す。また、歌劇『泊阿嘉』ではアンマー(老女)役を演じた。その芸風は「小太郎芸」として親しまれた。 沖縄タイムス芸術選奨大賞、文部省地域文化功労賞、那覇市民功労賞、琉球新報賞を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大宜見小太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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