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大宮守人 : ウィキペディア日本語版
大宮守人[おおみや もりと]
大宮 守人(おおみや もりと、1919年〔『続ほっかいどう百年物語』、285頁。〕 - 2000年4月29日)は、ラーメン店『味の三平』初代店主。
札幌味噌ラーメンの創始者。
==人物==
北海道旭川市出身〔『続ほっかいどう百年物語』、294頁。〕。戦前・戦中は南満州鉄道に運転士として勤務した〔『続ほっかいどう百年物語』、292頁。〕〔次回の知ってるつもり・札幌ラーメン物語 - 日本テレビ 〕〔『週刊文春』2000年5月18日号。〕。1948年(昭和23年)より札幌で屋台を始め、つぶ貝とうどんを出す店を営んだ〔『続ほっかいどう百年物語』、290頁。〕。隣に、後に有名なラーメン店『龍鳳』を出す松田勘七が、ラーメンの屋台を出して繁盛していた〔。松田の薦めもあり、大宮も松田の店での修業を経て、1950年(昭和25年)より、札幌市中央区南7条西3丁目のすすきのに、『味の三平』というラーメン店を始める〔〔『続ほっかいどう百年物語』、290-291頁。〕。13席のカウンターの席である。同じ敷地に同じ頃、松田も『龍鳳』を始める。
その後大宮は、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された、スイスの食品メーカー・マギー社の社長の文章を目にして衝撃を受ける〔〔『朝日新聞北海道版』1969年6月1日。〕。内容は味噌の効用を高く評価し、日本人はもっとこれを料理に活用するべき、と述べたたもので、それ以来、大宮は味噌を用いたラーメンの開発に従事することとなる〔〔。日本各地から味噌を取り寄せたり〔、試作品を常連客に出して意見を聴くなど試行錯誤を重ねた末〔、1955年(昭和30年)に店のメニューに正式に「味噌ラーメン」が載ることとなった〔〔。同年、雑誌『暮らしの手帖』で、同誌編集長の花森安治が『味の三平』を紹介したことから、店の知名度は全国的となり、さらに繁盛することとなる〔『続ほっかいどう百年物語』、293-294頁。〕。なお、特別メニューの豚汁を客の要望でラーメンに入れた際に客が大満足だったということにヒントを得たという情報が流布しているが、大宮の息子の現『味の三平』店主は否定する〔味の三平ホームページ - 店主のないしょ話・都市伝説 〕。
後に、味噌ラーメンは、『味の三平』以外のラーメン店でも出されるようになり『札幌ラーメン』の定番となり、『ラーメン』の主要なジャンルとなる。その後も、味噌ラーメンの元祖であり札幌ラーメンのカリスマとして『味の三平』は有名となる。
2000年4月29日死去する。81歳であった。『味の三平』は、札幌市中央区南1条西3丁目にて現在も営業を続けている〔味の三平ホームページ 〕。
なお、2001年1月24日日本テレビの『知ってるつもり?!』で、『札幌ラーメン物語』が放送され、最重要人物として大宮守人が登場する〔次回の知ってるつもり・札幌ラーメン物語 - 日本テレビ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大宮守人」の詳細全文を読む



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