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大宰府学校院跡[だざいふがっこういんあと]
大宰府学校院跡(だざいふがっこういんあと)は、福岡県太宰府市大字観世音寺に所在する大宰府の官人養成機関に関する遺跡である。1970年(昭和45年)に、国の史跡に指定されている。 == 概要 == 大宰府学校院は、中央の大学・典薬の両寮、地方の国学に相当するものである。その成立時期は明らかではないが〔存続についても明らかではないが、11世紀代までは続いたと推定されている。〕、律令制度の整備が進むにつれて、学校に相当する機関が設立されたと考えられている。 天応元年(781年)3月の太政官符に「府学校に六国〔大宰府管内の九国三島のうち筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・のことであろう。これら六国以外は教官(大宰府では明経(みょうきょう)博士が専任、音博士・明法博士、太宰医師、太宰算師など)を派遣したようである。〕の学生・医生・算生〔大宰府では学生・医生・算生の三者を同一機関で学ばせていたようであるが、中央では学生・算生を大学寮で、医生は典薬寮で教育した。また、地方では学生・医生のみが教育を受けた。〕は二百余人あり」と見えるのが文献上の初見史料である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大宰府学校院跡」の詳細全文を読む
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