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大山口列車空襲事件[だいせんぐちれっしゃくうしゅうじけん]
大山口列車空襲事件(だいせんぐちれっしゃくうしゅうじけん)は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月28日午前8時ごろ、鳥取県西伯郡所子村(現在の大山町)の山陰本線大山口駅東方約600m地点で発生した、満員状態の非武装(傷病兵輸送の赤十字標章付の車輌も含む)列車に対してアメリカ軍の艦載機3機が機銃掃射を加え、多数の死傷者が出た事件である。日本の鉄道に対する列車銃撃空襲事件としては湯の花トンネル列車銃撃事件に次ぐ大規模なものだった。 == 背景 == 1945年(昭和20年)2月16-17日のジャンボリー作戦に基づく南関東・静岡への攻撃で始まった米軍機動部隊の艦載機による日本本土への空襲は次第に地方都市へと広がり、7月23日からは山陰地方への本格的な爆撃が始まった。鳥取県西部は7月24日から28日にかけて艦載機により攻撃され、特に28日は午前6時から午後4時過ぎまで各所が攻撃されて、山陰海軍航空隊美保飛行場(現航空自衛隊美保基地)、米子駅、日本曹達米子工場、大篠津駅、弓ヶ浜駅などが被災している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大山口列車空襲事件」の詳細全文を読む
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