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大山崎油座 : ウィキペディア日本語版
大山崎油座[おおやまざき あぶらざ]
大山崎油座(おおやまざき あぶらざ)〔なお、当時の史料においては「大山崎油座」の語は使用されず、ほとんどが「大山崎神人」「山崎八幡宮神人」などとして登場する。辛うじて末期の織豊時代にわずかに「洛中油座」「住京神人油座」と呼ばれた例があるのみとなっている。これは本来、座が神人・供御人組織の下部構成員として商工業に従事した集団を指したのに対し、大山崎神人内部にはそういった階層がなかったため、座であるとは認識されていなかったことを意味する(桜井2002、120-121頁)。しかし実質的に他の座の活動と類似しており、歴史用語としても定着しているため、本項では「大山崎油座」の語を用いる。〕は、日本鎌倉時代前期頃から戦国時代末期にかけて、京都の南西にある大山崎郷一帯(現在の京都府乙訓郡大山崎町および大阪府三島郡島本町)を本拠に、荏胡麻から作製したを広範囲に渡って独占販売した特権商人から構成されたである。座の構成員は主として離宮八幡宮神人であり、石清水八幡宮内殿への灯油貢納を本務とした。幕府朝廷の庇護を受け、原料の仕入れから製油・販売に至るまで独占的な特権を得て、塩や染料・麹など油以外の商品も扱った。その販売対象地域は畿内を中心に広範囲に及び、筑前国博多筥崎宮の油座や大和国符坂油座などをしのぐ、中世日本最大規模の油座であった。
==荏胡麻油と大山崎神人==

===寺社の油需要===

中世日本において油は、主として照明用の灯油として用いられ、その他に雨具の塗油や食用などの用途があったが、主用途としての灯油の最大の需用は寺社の灯明用にあった。古代以来、寺社領としての封戸からの納入品や、荘園からの年貢という形で灯油を徴収していたが、やがて需要が高まるにつれ、十分な量を確保する必要性から、支配下の寄人神人らに製造・仕入れをさせることで、安定的な調達を確保するようになる。このような経緯から、大寺社に所属する寄人・神人から構成される油座が、平安時代後期から各地に出現するようになった。この時期に成立したものでは、醍醐寺三宝院や博多筥崎八幡宮の油座が有名である。
油の原料としては、荏胡麻〔荏胡麻(エゴマ)はシソ科の一年草で、種子を絞ることで油を得られる。現在ごま油の原料として知られる胡麻(ゴマ)はゴマ科の一年草で、荏胡麻とは種が異なるが、こちらも日本では古くから油の材料として用いられていた(『延喜式』主計上)。ただし中世においては次第に生産されなくなり、ゴマが再び日本に普及するのは、日明貿易で再輸入されるようになって以降である。〕、胡麻、海石榴(ツバキ)、魚脂などがあったが、なかでも荏胡麻が主要原料であった。荏胡麻は古代には主に食用として用いられることが多かったが、種子から油を取る方法が開発されたのに伴い、製油を目的に栽培されるようになったものである。なお中世後期から近世にかけて油の原料として新たにゴマ、綿実菜種などが加わり、油そのものの用途も多様化していく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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