翻訳と辞書
Words near each other
・ 大島勝
・ 大島北インターチェンジ
・ 大島北高校
・ 大島北高等学校
・ 大島区
・ 大島半島
・ 大島半島 (福井県)
・ 大島南インターチェンジ
・ 大島南央小学校
・ 大島南小学校
大島博光
・ 大島又彦
・ 大島友之允
・ 大島友治
・ 大島史洋
・ 大島司
・ 大島吉之助
・ 大島吉綱
・ 大島和久
・ 大島和子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大島博光 : ウィキペディア日本語版
大島博光[おおしま ひろみつ]
大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人翻訳家である。
== 生涯 ==
長野県更級郡西寺尾村(現長野市)出身、早稲田大学文学部仏文科卒業。西條八十に師事し、詩誌『蝋人形』の編集にたずさわる。当時、寄稿した花田清輝の文章に、ナチスに抵抗するソ連を肯定的に叙述した部分があったことで、花田に「大丈夫か」という懸念を表明したということを、のちに花田が回想している。ちなみに、そのエッセイは、花田の『復興期の精神』に収められている〔花田清輝『復興期の精神』新版あとがき、講談社、1966年8月〕。
戦後、新しい詩の活動に参加し、フランスのレジスタンス運動の中で生まれた詩を多く紹介する。ルイ・アラゴンパブロ・ネルーダの詩を翻訳し、紹介した。1962年詩人会議グループの創立に参画し、壺井繁治たちとともに民主主義文学運動の詩の分野で活躍した。1965年日本民主主義文学同盟の結成にも参加し、一時期は幹事もつとめた。
1970年代から80年代にかけては、『ランボオ』『パリ・コミューンの詩人たち』『エリュアール』『ピカソ』『アラゴン』(いずれも新日本新書のシリーズで刊行された)など、フランスの文化に関しての入門書を多く執筆した。また、1985年には多喜二・百合子賞を受賞した。2006年1月9日、午前10時10分、肺炎のため都内の病院で死去。享年95。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大島博光」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.