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大島富士子 : ウィキペディア日本語版
大島富士子[おおしまふじこ]

大島 富士子(おおしま ふじこ)は、日本ソプラノ歌手。
== プロフィール ==
1957年、兵庫県神戸市生まれ。 3歳より桐朋学園子供のための音楽教室で学ぶ 。

恵泉女学園高等部を経て、1977年 フェリス女学院短期大学音楽科の声楽を卒業後、ウィーン国立音楽大学声楽科とピアノ室内楽科に入学。1981年、同大学を卒業 。
声楽を江口元子、エドウィン・サモジー、ウェイン・グリフィッツ、ツェーガー・ファンダステーネ、 ピアノをハンス・カーン、ノーマン・シェトラー等、リートをインゴマー・ライナー、ツェーガー・ファンダステーネ 及び ダルトン・ボールドウィンに師事。
卒業後は数多くのリーダーアーベントをヨーロッパと日本を中心に開催。 1995年から5年間、ホセ・ヴァスケスの率いる「オルフェオン・コンソート」のソプラノ歌手としてバロック音楽のレパートリーを広げ、イタリアやオーストリアで演奏活動をする。 チェンバロ 及び オルガン奏者のインゴマー・ライナーと共にリーダーアーベントを開催、1990年のシューベルト生誕200年記念コンサートとしてウィーンより日本へハンマークラヴィアを持ち込み、シューベルトによるプログラムで演奏旅行をした。 ボンのベートーヴェン祭、リンツのブルックナー祭、ウィーンのイースタークラング祭、イタリアのオーロラ祭やアゾロのイースター祭などに出演。
2009年、ウィーン在住33年後 日本へ帰国。 同年、シューベルトの歌曲だけで一晩のプログラムを歌い、ボールドウィンより「シューベルト歌手」として認められ、以降 ボールドウィンは伴奏者として大島を支える存在となる。 2013年、2度目のシューベルト歌曲の夕べをボールドウィンと開催する。 また、オーストリアでは国家公認日本語裁判通訳・翻訳者として、 さらには 会議通訳者としてヨーロッパ各地で活動した。 2014年7月オーストリア・ブルゲンランド州々都自由都市アイゼンシュタット市よりヨーゼフ・ハイドン記念名誉銀メダルを授与される 。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大島富士子」の詳細全文を読む



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