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大島貞益[おおしま さだます] 大島 貞益(おおしま さだます、弘化2年2月17日(1845年3月14日) - 大正3年(1914年)10月19日)は明治時代の著作家(経済評論家)・翻訳家・教育者。号は「石華」。 日本におけるF・リストの紹介者および保護貿易論者として知られ、「日本のリスト」と称される。 ==略歴==
===官僚として=== 但馬国養父郡大藪村(現兵庫県養父市大藪)で、大藪領主旗本小出英道の家臣、西洋兵学者・大島貞薫と敦子の三男に生まれる。幼名は益三郎。箕作麟祥の英学塾に学んだ後、慶応4年(1868年)7月に新政府の海軍省翻訳方に出仕し、以降文部省・統計寮・外務省などを転々とし明治11年(1878年)1月に外務省御用掛を免職となるまで翻訳業務に従事した。この間、『英国開化史』(1874年 / バックル『イングランド文明史』の訳)・『馬爾去斯(マルサス)人口論要略』(1877年 / マルサス『人口論』の訳)・『ゼボンス貨幣説』(ジェヴォンズ『貨幣論』の訳)など西欧の歴史書・経済書の翻訳をすすめた。その後、明治17年(1884年)〜20年(1887年)には群馬県中学(現・群馬県立前橋高等学校)の校長となったが、これを辞任した後は官職につかず、著述および翻訳に従事し24年(1891年)8月からごくしばらくの間『中央新聞』に在籍していた。
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