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大崎剛彦 : ウィキペディア日本語版
大崎剛彦[おおさき よしひこ]

大崎 剛彦(おおさき よしひこ、1939年2月27日 - 2015年4月28日)は、日本の元競泳選手。
== 人物 ==
石川県輪島市出身。石川県立金沢泉丘高等学校早稲田大学商学部卒業。
同大在学時の1960年ローマオリンピック代表に選出され男子200m平泳ぎで銀メダル、男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。1959年と1960年に日本選手権水泳競技大会男子200m平泳ぎを連覇した〔日本選手権水泳競技大会選手権獲得者:男子200m平泳ぎ 〕。
同大卒業後は倉敷レイヨン(現・クラレ)で活躍〔。1973年に社会体育開発研究所を設立〔。
現役引退後もマスターズ選手として泳ぎ続け、(マスターズ部門)入りを果たしたほか〔公益財団法人国際水泳殿堂・アジア紹介 公益財団法人 国際水泳殿堂・アジア公式サイト〕、日本マスターズ水泳協会会長(1992年 - 2014年)〔や日本水泳連盟理事も務めた。
剛彦の父は平泳ぎ選手で戦前の第10回極東選手権競技大会(1934年)の日本代表に選出され、石川県水泳協会副会長を務めた大崎卯藤久〔 『水泳』第24号 7頁 日本水上競技連盟〕〔競泳の大崎剛彦さん死去 ローマ五輪「銀」、輪島出身 北国新聞(Yahoo)2015年4月30日付〕、妹は飛込選手で1966年アジア競技大会3m飛板飛込で優勝し、オリンピック3大会連続出場を果たした大崎恵子〔、夫人はメルボルンオリンピック及びローマオリンピックの日本代表選手:佐藤喜子で〔、娘は幻のモスクワオリンピック代表であった大崎芳栄大崎ファミリー 元五輪選手パティシエのちょっぴりお菓子いブログ〕と、大崎家は水泳一家でもあった。
2015年4月28日、大阪府吹田市大阪大学附属病院にて間質性肺炎のため死去〔ローマ五輪平泳ぎで銀 大崎剛彦氏が死去 76歳 日刊スポーツ 2015年4月29日閲覧〕〔【競泳】60年ローマ五輪「銀」大崎剛彦氏死去、76歳 日刊スポーツ 2015年4月29日閲覧〕。。没後、日本政府より従六位に追叙された〔『官報』第6545号8頁 平成27年6月3日付〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大崎剛彦」の詳細全文を読む



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