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大崎合戦[おおさきがっせん]
大崎合戦(おおさきがっせん)とは、天正16年(1588年)に起きた伊達政宗軍と大崎義隆・最上義光連合軍との戦い。 == 詳細 ==
=== 開戦までの情勢 === 伊達氏を中心とする南奥羽の外交秩序は、豊臣秀吉の関白就任と政宗が家督継承後に引き起こした一連の軍事行動によって大きく揺らぎ、父・輝宗の死を契機に同盟・従属勢力のほとんどが離反してしまった。 伊達領の北に拠る旧奥州探題・大崎氏〔義隆の父・義直は、天文5年(1536年)に発生した家中の内紛を鎮圧するため、伊達稙宗の力を借りたことで伊達氏への従属を余儀なくされる。義直は天文の乱に乗じて、養子として送り込まれていた稙宗の子・義宣を討ち、伊達氏への合併吸収は免れたが、伊達輝宗の代に至るまで、大崎氏は依然として伊達氏に従属した状態であった。〕もまた、伊達氏から離反して独立する動きを見せていた。 豊臣秀吉の九州平定後間もなく、その大崎氏内部で、当主・義隆の寵童同士による争いが家中の内紛へと発展。大崎氏重臣・岩手沢城主氏家吉継が、政宗に援軍の派遣を要請した。天正16年(1588年)1月、大崎氏内紛の鎮圧という名目を得た政宗は、陣代として浜田景隆を派遣、留守政景・泉田重光・小山田頼定らに出兵を命じる。一方、迎え撃つ大崎義隆は中新田城を防衛拠点に定め、南条隆信を守将に据えて籠城戦を展開した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大崎合戦」の詳細全文を読む
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