翻訳と辞書
Words near each other
・ 大崎初音
・ 大崎剛彦
・ 大崎副都心
・ 大崎千聖
・ 大崎半島
・ 大崎博之
・ 大崎台
・ 大崎史郎
・ 大崎合戦
・ 大崎啓吾
大崎善生
・ 大崎圏
・ 大崎地方
・ 大崎城
・ 大崎大映劇場
・ 大崎小学校
・ 大崎市
・ 大崎市三本木亜炭記念館
・ 大崎市古川体育施設
・ 大崎市古川総合体育館


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大崎善生 : ウィキペディア日本語版
大崎善生[おおさき よしお]

大崎 善生(おおさき よしお、1957年12月11日 - )は、日本作家、元雑誌編集者
== 来歴・人物 ==
北海道札幌市出身。実家は作家の原田康子宅の隣にあり、小学生時代に原田と交流があった〔大崎, p.127「ろうそく集め」〕。大崎が吉川英治文学新人賞を受賞した翌年に原田が吉川英治文学賞を受賞し、授賞式で原田は「隣の僕ちゃんが昨年吉川英治文学新人賞を受賞されて……」とユーモラスなスピーチを披露した〔大崎, p.209「一本の大木」 〕。
祖父、父、伯父たち(父の兄弟)、兄の皆が医師で(兄は当時医学生)、大崎自身も医学部進学を望まれていたが、父の反対を押し切って上京した〔大崎, p.40 「過去へ回帰する旅」〕〔大崎, p.108 「時を越えて響く記憶『異邦人』」〕。
大学時代は文学青年で、フィリップ・K・ディックロバート・A・ハインラインカート・ヴォネガットなどを夢中で読んでいた〔大崎, p.252 「マイ・ロングセラーII『中国行きのスロウ・ボート』」〕。一方で、大都会での生活に馴染めず、部屋にこもって少女漫画ばかり読んでいた時期もあり、特に吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』や『夢みる頃をすぎても』などの青春ものに胸をときめかせていた〔大崎, p.254 「マイ・ロングセラーIII『夢みる頃をすぎても』」〕。同じ頃、大学生活にも適応できず、やがて将棋に熱中するようになる。学校に行かず、アルバイトもせず、新宿将棋センターに入り浸る生活を送り、約1年でアマチュア最高位〔現在は一般的には六段、アマチュア竜王戦3回優勝か、特別な功労者などが昇段できる最高位は八段。〕の四段まで昇段した〔大崎, p.72 「社会への抵抗」〕。また、角落ちから将棋の手ほどきをしてくれた府川充男らと、雑誌『同時代音楽』の編集に携わる。
毎日将棋を指しに来る大崎を見ていた将棋道場の席主の紹介により、1982年日本将棋連盟に就職し〔大崎, p.160 「消え去らない胸のいたみ」〕、道場の手合い係を経て、雑誌編集部に移り、『将棋年鑑』『将棋マガジン』『将棋世界』を手がける。1991年に『将棋世界』編集長となり、真部一男「将棋論考」、河口俊彦「新・対局日誌」などを企画する。1996年、高橋和二段を連れてヨーロッパ4カ国の将棋ファンを指導するという企画を立てた〔大崎, p.33 「出会いのオーボワ」〕。
33歳の時に初めて受けた健康診断の結果に因んで、先崎学八段に“ミスターガンマーGTP”というニックネームを付けられた(その後の生活改善により数値も降下した)〔大崎, p.80-81 「私の好きな酒肴 韮納豆」〕。
2000年、友人が育てていたノンフィクションの書き手が病気で急逝し、その物語の書き手にフィットする人が見つからず、その友人が漏らした「大崎さんが書いてくれるとええんやけどなあ」の一言が転機となり〔大崎, p.91 「転機にならないから結婚する」〕、29歳で亡くなった将棋棋士村山聖の生涯を追ったノンフィクション小説『聖の青春』を執筆、第13回新潮学芸賞を受賞した。テレビマンユニオンの元会長萩元晴彦とは親友と言える仲で〔大崎, p.75 「『親友』が遺した言葉」〕、同作に惚れ込んだ萩元が出版元の講談社と直談判し同作の映像化権を獲得、ドラマ化された。同作はのちに、漫画化・舞台化もされた。
2001年に退職し、専業作家となった。同年の『パイロットフィッシュ』からは、将棋から離れ、小説を発表。
2003年春、かねてより交際していた高橋和と結婚。年に3ヵ月は精神的な栄養補給のために海外を放浪したいという大崎の考えにも賛成してくれ、パチスロという楽しみを教えてくれた彼女との結婚は、決して人生の転機にならないだろうという理由が決め手となった〔。
2011年2月、NHK教育テレビジョンにて『こだわり人物伝 升田幸三 伝説の棋士』のメインパーソナリティーを務めた(2月2日から毎週全4回)。
料理は趣味の一つで、取材で長期滞在したヨーロッパで食べたようなブイヤベースボンゴレ・ビアンコ、また燻製ベーコンなど時間と手間のかかるものが好きである〔大崎, p.123-124 「自分で料理」〕〔大崎, p.144 「燻製」〕。愛煙家だったが〔大崎, p.149 「愛煙家」〕、47歳から禁煙を始めた〔大崎, p.162 「苦しみのなかに現れた三つめの味方」〕。
村上春樹は特別な存在で、村上の作品の中でも『風の歌を聴け』は一段と鮮明な輝きを恒常的に放ち続けていると述べており〔大崎, p.217 「私にとっての恒常的な光の存在」〕、自分がもっとも繰り返し読んだ本も村上の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』「納屋を焼く」「パン屋再襲撃」「中国行きのスロウ・ボート」のどれかである〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大崎善生」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.