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大川 ミサヲ(おおかわ みさお、1898年(明治31年)3月5日 - 2015年(平成27年)4月1日)〔は、大阪府大阪市東住吉区に在住していた長寿の日本人女性。2013年6月12日の木村次郎右衛門の死去以来、2015年4月1日に死去するまで存命人物で日本最高齢、およびギネス世界記録に認定された世界最高齢の人物であった。 大川は年齢に確証のある人物の中で、日本およびアジアにおける歴代最高齢の人物であり、世界全体でも史上5番目に長生きした人物である(1位はフランスのジャンヌ・カルマン)。また、日本人の中では1800年代生まれの最後の生き残りの人物だった。 == 人物 == 1898年、大阪府大阪市北区天満にて出生。呉服屋の四女として生まれた。1919年にゴム製造会社を営む大川幸男(おおかわ ゆきお、1931年死去)と結婚〔。幸男の死後は、女手一つで子を育てた〔。大正時代後期から昭和初期にかけてのいわゆる大大阪時代を体験した人物でもあり、メディアの取材に対し道頓堀や千日前に行くことが楽しかったという思い出を振り返っている。 102歳の時に盆踊りの際に転倒し足を骨折したが、それ以外に大病を患ったことはない〔。110歳まで、車椅子を使わずに歩くことができた〔。長寿の秘訣として、「美味しいものを食べること」「ゆっくり暮らすこと」「よく寝ること」をあげている。好物は鯖のきずしや刺身、コーヒーなど〔。116歳になった時点で、子が3人(2人が存命中)、孫が4人、曾孫が6人おり、2人の子はそれぞれ90歳を超えていた。 ギネス記録にて確かな記録を認められた日本人としては初めて117歳の誕生日を迎えてからおよそ1ヶ月後の2015年4月1日、老衰のため入居先の大阪市東住吉区の特別養護老人ホーム「くれない」で死去した。 なお、大川の生誕時にはまだ、歴史上の人物としても名高い勝海舟や黒田清隆、ジョン万次郎が存命していた。また生年月日が同一の人物として、周恩来がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大川ミサヲ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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