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大川平三郎 : ウィキペディア日本語版
大川平三郎[おおかわ へいざぶろう]

大川 平三郎(おおかわ へいざぶろう、万延元年10月25日1860年12月7日) - 1936年昭和11年)12月30日)は、明治から昭和初期の実業家。「日本の製紙王」と呼ばれ、「大川財閥」を築いた。江戸時代剣豪で農民の出ながら武蔵国川越藩の剣術師範となった大川平兵衛は平三郎の祖父にあたる。
== 略歴 ==
大川平三郎は、川越藩三芳野村(現・埼玉県坂戸市横沼)で剣道場を構えていた大川修三の次男として生まれる。道場は修三の父である剣豪大川平兵衛の興したものである。平三郎の母は富岡製糸場を作った尾高惇忠の妹・みち子である。惇忠やみち子の妹の千代は、渋沢栄一の妻であったので、平三郎は渋沢栄一の甥にあたる。後に、大川平三郎が妻とした照子は、渋沢栄一と後妻の兼子との間に出来た娘なので、従って、平三郎は渋沢栄一の娘婿にも当たる〔こうした関係は尾高惇忠の子で銀行家の尾高次郎もそうで、栄一の甥で娘婿。栄一の後妻となった兼子の父は川越出身の大富豪・伊藤八兵衛で、画家の淡島椿岳は八兵衛の実弟、作家の淡島寒月は八兵衛の甥である〕。
剣道が顧みられなくなった時勢で、大川家の家計は苦しく、平三郎の母・みち子はよく妹の千代に金を無心した。平三郎は、13歳で東京に出て渋沢栄一の書生として渋沢家の掃除など雑用をこなしながら、本郷壬申義塾大学南校(現在の東京大学)でドイツ語英語、歴史を学んだ。収入を稼いで実家に仕送りをするのが急務であった平三郎は、栄一が中心となり創立した抄紙会社(後の王子製紙(初代))に16歳で入社、月給は全て仕送りにした。抄紙会社では図工の職であったが、「紙を抄く技術が最も大切な仕事であるはずだ」と志願して職工になり、努力を重ね外国人技師の技術を全て習得、日本人で最初の製紙技師となった。
1879年(明治12年)、大川は会社不振の原因を分析した建白書を提出、それが会社に認められ、20歳で社命でアメリカに渡り、シャワンガム社・モンテギュー社などで製紙技術を修得した。大川は逐一、栄一に状況を手紙で報告した。
1年半の留学を終え帰国した大川は、パルプの原料をに替えるコストダウンを実行、21歳にして会社の副支配人に就いた。1884年(明治17年)、化学パルプの技術革新が起こった欧州に調査に赴いた。帰国後の1890年(明治23年)、試行錯誤の末、日本で最初の亜硫酸法による木材パルプの製造に成功、さらに木材チップを煮る釜を改良して「大川式ダイゼスター」を考案した。1893年(明治26年)に技術部門を担当する専務取締役に就任。しかし、1898年(明治31年)三井財閥が経営に参画したことから渋沢栄一は会長を退任、大川も王子を去った。
大川は、彼と行動を共にした技術者・職工らと四日市製紙三重県)に移籍。1901年(明治34年)に上海の製紙会社に招かれ、1903年(明治36年)に帰国した後は九州製紙熊本県)の社長に就任。次いで1906年(明治39年)中央製紙岐阜県)を、1908年(明治41年)木曽興業(長野県)を設立し、1908年四日市製紙の役員に復帰(1918年社長に就任)、1909年(明治42年)には中之島製紙(大阪府)の会長にも就任した。1914年大正3年)樺太工業を設立、1919年(大正8年)には大手製紙会社富士製紙の社長に就任。この結果大川が経営する製紙会社は合計で国内市場の45%を握り〔四宮俊之 『近代日本製紙業の競争と協調』、日本経済評論社、1997年〕、大川は「日本の製紙王」と呼ばれた。1933年(昭和8年)に王子製紙・富士製紙・樺太工業の3社が合併(「大王子製紙」発足)した際は、同社の相談役に就任した。さらに浅野セメント(後の日本セメント、現・太平洋セメント)、札幌ビール東洋汽船日本鋼管など80余の企業経営に携わり「大川財閥」を作り上げた。
濱口政権による金解禁に対しては、時期尚早として反対の立場をとった〔中村隆英 『昭和恐慌と経済政策』、講談社学術文庫、1994年、89頁〕。
大川平三郎は、1928年(昭和3年)には貴族院議員となった。
1936年(昭和11年)12月30日死去、享年78。孫には、競馬評論家大川慶次郎がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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