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大工原銀太郎[たいくばら ぎんたろう]
大工原 銀太郎(たいくばら ぎんたろう、1868年1月27日〈慶応4年1月3日〉 - 1934年〈昭和9年〉3月9日)は、日本の科学者。土壌酸性による影響がアルミニウムによることを世界で初めて発見した研究者。 信濃国伊那郡南向村(現長野県上伊那郡中川村)の鈴木家に生まれ、のちに飯田の大工原孝吉の養子となる。東京農林学校を経て1894年、帝国大学を卒業後、農商務省農事試験場技師、東京帝国大学講師、特許局技師、九州帝国大学教授、朝鮮総督府勧業模範農場技師を経て、九州帝国大学第3代総長に着任する。さらに1929年に同志社大学の9代総長に就任した。 1934年3月9日、盲腸炎により死去。 エジプトやローマにおいて彫刻のモデルとして使われる、死者の顔を形に止めた大工原のデスマスクが現存する。 == 外部リンク ==
* 大工原銀太郎博士のデスマスク 九州大学へ移管 - 「散策と思索」(2005年、農業環境技術研究所)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大工原銀太郎」の詳細全文を読む
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