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大戦景気(たいせんけいき)・戦争景気(せんそうけいき)とは、戦争が発生すると局地的に起こる好景気の現象である。日本では、日清戦争・日露戦争期の戦争景気、第一次世界大戦期の大戦景気、満州事変・日中戦争・第二次世界大戦(1942年(昭和17年)夏頃の太平洋戦争の戦況悪化まで)期の戦争景気、朝鮮戦争期の朝鮮戦争特需景気が知られる。 日本では「大戦景気」といえば、多くの場合、第一次世界大戦にともなう1915年から1920年にかけての好景気を指す(→''大戦景気 (日本)''参照)。アメリカ合衆国においても、第一次世界大戦にともなう大戦景気(アメリカ大戦景気)が起こり、戦後の世界経済をリードした。 == 概要 == 景気循環としては最も大きいものの1つで、以下の要因が挙げられる。 #戦争に関係する物資の需要の高まり(戦争特需)によってもたらされる直接的なもの。 #戦争に関わる物資を生産する上で必要とする原材料の需要の高騰でもたらされる間接的なもの。 #戦争によって破壊された建造物の撤去や死亡した人間の処理。 #勝戦国が敗戦国から獲得した戦時賠償による消費の拡大。 これらを一括して「戦争景気」という。 戦争景気が顕著になった時期は第一次世界大戦の頃からであり、軍事の巨大化において戦争の規模が拡大し、総力戦となったためである。戦争景気が及ぶ場所は、直接戦場となっていない国であることが多い。これらの戦争景気が起こると、造船や航空などの軍事に直結する技術が著しく進化する傾向を持っており、戦争が終わった後に大きな影響をもたらす。 一方で、終戦とともに軍需が急激に減少すると、深刻な戦後恐慌が発生する。総力戦では総動員体制が敷かれ、経営判断を差し置いた生産設備の拡大が義務づけられるため、戦後には膨大な過剰生産力を抱えることとなる。第二次世界大戦でのアメリカは、戦勝の見通しが定まった段階で徐々に平時生産体制に切り替え、また戦後にはマーシャル・プランによって欧州の復興需要を満たす資金を供給するなどの方法で、終戦による急激な需要減に対処した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大戦景気」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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