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大日岳栄隆 : ウィキペディア日本語版
大日岳栄隆[おおひだけ えいりゅう]
大日岳 栄隆(おおひだけ えいりゅう、1966年10月12日 - )は福島県双葉郡双葉町出身の元大相撲力士玉ノ井部屋(入門時は春日野部屋)所属。本名は井戸川 栄隆(いどがわ えいりゅう)。身長189cm、体重174kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東十両7枚目(1993年11月場所)。現・世話人大日岳。
== 来歴 ==
中学時代はバスケットボール部に所属していた。相撲経験は無かったが、知人から同じ浜通り出身で当時春日野部屋の部屋付きの親方だった玉ノ井親方(元関脇栃東)を紹介され、中学卒業後に春日野部屋に入門。1982年5月場所に初土俵を踏んだ。
以降、着実に番付を上げ、1987年5月場所には幕下に昇進する。しかし攻めがやや遅い所があったため三段目上位と幕下下位を往復する生活が続いた。この間、1988年11月場所には本名の井戸川から栃日岳と改名する。1989年9月場所には4度目の幕下昇進を果たす。この場所は東幕下55枚目で13日目まで6戦全勝で勝ち進み、同じく6戦全勝であった西幕下9枚目の貴花田と対戦した。勝てば幕下優勝、幕下上位への昇進もありえたが、低い立ち合いで当たってきた貴花田に立ち合い負けし、前に出て右をこじ入れさらに左もまわしを引いたが押し切れず、左から強烈に引き付けられて電車道で寄り立てられ、土俵際でもろ差しになるも右から投げを打ちながらの寄り倒しに敗れて幕下優勝を逃す。
1990年には玉ノ井親方が独立することとなったため、玉ノ井部屋に移籍した。1991年1月には大日岳と改名。次第に幕下上位でも勝ち越せるようになり、1993年9月場所には初土俵から11年半掛かって十両に昇進した。左四つ得意で右前褌を取る力を発揮し、新十両の場所は9勝6敗と勝ち越した。しかし、翌11月場所と1月場所を負け越してしまい幕下に陥落した。関取陥落後も十両復帰を目指して長く相撲を取り続けた。また大関栃東の付け人も長く務めた。2004年1月から世話人の定員が増員されることとなったため、1月場所前に引退し世話人に転身した。
思い出に残る相撲として、前述の貴花田に敗れた相撲を挙げた。この取組は貴乃花の最年少幕下優勝記録更新を決めた取組で、人気が高かった1990年代中盤には何度もテレビ放送されており、記憶しているファンも多い。
取的生活が長かったため付け人の苦労を知り尽くしており、十両昇進時には「自分でやれることは自分でやっていきたい」と付け人を思いやる発言をコメントとして残している。
出身地・双葉町の町長を務めた井戸川克隆は伯父〔玉ノ井部屋 合宿所流された 日刊スポーツ、2011年3月14日、2013年10月23日閲覧〕。福島第一原子力発電所事故の対応に当たったが、2013年1月に不信任案が可決され、任期途中の同年2月に退任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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