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大日本帝国海軍航空爆弾一覧 : ウィキペディア日本語版
大日本帝国海軍航空爆弾一覧[だいにっぽんていこくかいぐんこうくうばくだんいちらん]

大日本帝国海軍航空爆弾一覧では、第二次世界大戦終了までに日本海軍が運用した航空爆弾、その他投下兵器を一覧として記載する。
== 型式と概要 ==

日本海軍では異なる型式の航空爆弾を相当数生産した。これらは3つの主なカテゴリー内部でさらに細分される。
* 陸用爆弾。これは陸上の目標に対して使用される。これらは普通、高品質に造られたものではない単純な筒状弾体に、鋳造の頭部と尾部を鋲接または溶接している。
* 通常爆弾。艦艇に対して使用される。汎用及び半徹甲形式がある。これらは高品質で、通常は鍛鋼によりケースが生産された。
* 特殊爆弾。号数によって用途が指定されており、様々な目標に対して投入された。
日本海軍は建艦競争の不利から航空戦力を重視した。理由は日本が経済・工業力・資源とも貧弱で乏しかった事による。これは海軍の主な公論の一つであり、1912年(明治45年)頃から唱えられ始めた〔兵頭『日本海軍の爆弾』34頁〕。欧米では全ての目標に使用できる高性能なGP(汎用)爆弾を採用したが、資源に乏しい日本では希少金属はもとより屑鉄でも使用先が限定された。そこで日本海軍では各種爆弾を制定して専用設計を施す必要があった〔兵頭『日本海軍の爆弾』66頁〕。海軍では通常、交戦の対象は艦艇であるため、装甲板の貫通能力をある程度付与した爆弾が通常爆弾と呼ばれた。こうした爆弾は鋳鋼ではなく高価な鍛鋼により装甲板を貫通できる強度を維持していた。ただし陸用爆弾に比較すると炸薬量が少なく高価である。投下する対象は艦船であるため、生産配備の要求量は比較的少数であった。これに対し、破片を散乱させて人馬を殺傷したり、さほど堅固に装甲されていない陸上施設を破壊するには、炸薬が多く安価な陸用爆弾が投入された。陸用爆弾の弾体には鉄筋コンクリート等を貫通する程度の強度が要求された。炸薬には初期に下瀬火薬、1938年(昭和13年)以降は九八式爆薬を広く用いるようになった。下瀬火薬は感度が高く、自爆防止のため、所定の形に作られた美濃紙の小袋に加熱して鋳込み、これを弾体に詰めた。日本海軍ではこれを成形炸薬と呼んだが、現用のHEATのような意味はない。九八式爆薬は加熱して直接弾体内部に鋳込む「鋳填」を行った。
一般に、航空爆弾の呼称は上から順に「制式採用年式」「全備重量10kgごとを大体の目安として番数で表示」「用途を号数で表示」「通常、陸用を表示」「改良により型式が変更された場合、数字と型を表示」「型式を変えない程度の改良を加えた場合、改と数字を表示」している。「九九式六番二号爆弾改一」は、「九九式(制式年)」「六番(全備重量67.9kg)」「二号爆弾(対潜用途)」「改一(信管を改良)」と表記されている。
日本海軍による最初の爆弾投下試験は1913年(大正2年)6月とする資料がある〔兵頭『日本海軍の爆弾』34頁〕。この当時には航空機そのものが黎明期であり、欧米においても航空兵装の研究が進んでいる状況ではないことから、八糎砲および十二糎砲の砲弾を改良した爆弾を製造した。1914年11月、これらの砲弾改造爆弾は、青島要塞に対して計199発が水上機から投入された〔兵頭『日本海軍の爆弾』36頁〕。第一次大戦後、日本海軍はイギリス、フランスなどヨーロッパから爆弾を輸入し国産航空兵装の参考とした。ことに強く影響を及ぼしたのはイギリスの航空爆弾と推測される〔兵頭『日本海軍の爆弾』38、50頁〕。1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)にかけて日本海軍の爆弾の種類が急速に増加した。これらの爆弾の中には試作、実験段階で文書に記載されたものの、後の文書での記載がなく、履歴が確認できないものも多い。通常爆弾の呼称は1927年(昭和2年)9月16日の文書に初出する〔兵頭『日本海軍の爆弾』40頁〕。また陸用爆弾の分類と呼称は1932年(昭和7年)頃、第一次上海事変中に記載が始まった〔兵頭『日本海軍の爆弾』50頁〕。昭和初期の爆弾の表記は「二五〇瓩(キログラム)通常爆弾」のように、kgとカテゴリーの表示で行われた。この後、無年式の番数による重量の表記が開始されるが、明確な時期は不明である。ただし少なくとも第一次上海事変の以前に番数による呼称は存在しない〔兵頭『日本海軍の爆弾』82頁〕。皇紀の下二桁の年式を航空爆弾に表記するようになった明確な時期は不明である。昭和13年(1938年)4月、『空威研究会報告』における爆弾の用途ごとの種類を表記した内容には、「通常」「陸用」「煙」「一号」から「七号」各種が記載された。八号から三三号までの分類と開発は対英米戦の戦訓からの整備着手となった〔兵頭『日本海軍の爆弾』207頁〕。
兵装投下器は爆弾と魚雷では共通化が図られておらず、兵装転換の際には機体ごとに投下器も交換する必要があった。爆弾運搬車等も魚雷と共有は不可能だった。また投下器自体も工作が統一されておらず、九七式艦攻の投下器は機体ごとにネジ規格、孔位置が異なり、別の機体のものは使用できなかった。こうしたことから兵装転換には長時間が要された〔兵頭『日本海軍の爆弾』77-78頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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