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大日本誠流社(だいにほんせいりゅうしゃ)は、防共挺身隊から分派した政治団体。 主要人物は楠本正弘・柴田吉一・角田倉人。「ジャパンジャーナル」等を発行し、ミャンマー(ビルマ)のカレン族独立運動支援などを介して、政党代表や総理大臣経験者を含む一部の有力右翼代議士と繋がりを有する。 == 沿革 == *1979年3月1日 設立届出。ロッキード事件に関与した田中角栄の徹底処罰を求める内容のビラを大量に貼り出す。 *1986年の第14回参議院議員通常選挙では、確認団体として比例代表区に会長の楠本、柴田、角田ほか9名、東京都選挙区に渡邊明生(「報国新聞社」主幹。翌1987年東京都知事選挙にも立候補)の1名のみを擁立。「国民は政治不信を棄権で示せ」との不可解なスローガンを掲げ、反共・政界浄化・占領憲法改正・「民族精神の昂揚と国体の闡明」等を訴えたが、選挙区、比例区共に得票率最下位で全員落選した。 *1989年の第15回参議院議員通常選挙にも、前回参院選に続き確認団体として比例代表区に楠本会長以下9名(獲得票数8127票)、東京都選挙区に1名を擁立したが、全員落選、供託金没収。自民党が不祥事続きで過半数を割り込み惨敗し、国民の不信感から社会党が大躍進を遂げた同選挙では、多くの右翼団体が当落を度外視して立候補した。乱立による票の目減りを承知で社会共産両党への集中攻撃として立候補し、自民党を応援することはこれまでにもあったが、同選挙では、独自の政策を掲げて戦った点が違った。大日本誠流社は、1憲法改正による民族精神の昂揚、2国家防衛体制の強化拡充、3金権政治の撲滅と政官界浄化、4教育改革の徹底推進、5主要農産物の完全自給政策の確立、6全アジア反共グループの支援をうたった〔右翼民族派・総覧〕。 *1991年東京都知事選挙では、福田拓泉(この時の肩書は「北方領土返還推進連盟」代表)を公認候補者に擁立して臨み、ゴルバチョフ来日阻止と北方領土奪還を訴えたが、落選。 *1992年の第16回参議院議員通常選挙でも、前々回、前回参院選に引き続き確認団体として比例代表区に楠本以下9名、東京都選挙区に1名を擁立したものの、投票日直前の選挙期間中に、比例代表名簿順1位の楠本が立候補を突如辞退し、会長退任、離党する不可解な事件が起きた(後任会長は柴田)。楠本については立候補したと見做され、確認団体要件を充足したものとして扱われた。 *大日本誠流社の代表を離れた楠本は、同じ1992年の第16回参議院議員通常選挙に元自衛官を糾合して確認団体として選挙運動を行った「国際政治連合」の人士と合流し、「国際新聞社」の社主に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大日本誠流社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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