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大月 晴明(おおつき はるあき、男性、1973年11月30日 - )は日本のキックボクサー。本名大西 宏之(おおにし ひろゆき)。京都府出身。フリーランス。 合気道(當木流)の足捌きを取り入れた非常に個性的なスタイルを用いる。「爆腕」と呼ばれ、高いKO率を誇る。 == 来歴 == 1999年10月8日、全日本キックボクシング連盟(AJKF)興行でプロデビューし、森下知之にKO勝ち。 デビュー後6連勝し、2001年1月4日に全日本フェザー級王座決定戦で遠藤慎介と対戦予定であったが、膝関節捻挫で欠場となった。 2001年4月6日、AJKF興行で立嶋篤史と対戦し、5Rに右アッパーの連打でKO勝ち。試合後、「信じられない。何百回もビデオを見てきた立嶋選手に勝てるなんて。できれば何度でも闘いたい。肘は凄く効いた。世代交代なんて、まだまだですよ」と語った。 2002年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟のトーナメント1回戦でJ-NETWORKフェザー級王者増田博正に右ミドルキックでKO勝ちするも、右足首を負傷し準決勝を辞退した。 2003年1月4日、AJKF興行で王者林亜欧に右フックでKO勝ちし、デビュー以来10連勝で全日本ライト級王者となった。 2004年6月18日の全日本ライト級最強決定トーナメント決勝大会を左膝内側半月板を損傷のため欠場した。同年9月に全日本ライト級王座を返上した。 2005年1月4日、AJKF興行で王者小林聡にフック連打でKO勝ちし、デビュー以来18連勝でWPKC世界ムエタイライト級王者となった。試合後、「怖かった。早く試合から解放されたかった」と振り返えり、「勝っても負けても引退しようと思っていた。怪我も多いし、モチベーションを上げるのが大変」と語った。 2005年12月19日、タイ・オームノーイスタジアムでチョンレック・ゲオサムリットと対戦。2Rに肘打ちでダウンし、4Rには膝蹴りで2度ダウン後、レフェリーストップで4RTKO負け。プロ初黒星となった。大会後、「タイで自分の強さを知りたい。ボコボコにされて限界を感じたら教える側に回る」と話した。 2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8でデビット・ドゥージャと対戦し、3R左フックでのKO勝ちでK-1デビュー戦を白星で飾った。試合後、「2Rまでみっともない試合をしてしまいました。今日は30点、20点ぐらい。次は100点の試合をします」とコメントした。試合前には谷川貞治に「大月君は凄いですよ〜!全盛期のラモン・デッカーみたいな雰囲気がありますね。大月選手には才能を感じますね」と期待されてのK-1参戦となった〔YOUTHもライト級も顔が大事!?谷川EPが世界のイケメンファイター獲得に意欲! kamipro 2008年5月22日〕。 2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALで梶原龍児と対戦し、判定勝ち。谷川には「K-1でいい試合をやってないのでオープニングファイトからやり直してもらいます。」と酷評された〔【K-1MAX】2・23ゴリアエフ参戦は「K-1と戦極の交流というわけではない」 GBR 2009年1月21日〕。 2009年3月14日、K-1ルールの大会「Krush.2」で石川直生と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。 2010年1月25日、「Survivor 〜Round.3 立川隆史・引退記念興行〜」で久保優太と2分2Rのスペシャルエキシビションマッチを行った〔【サバイバー】元ロッテの4番打者・立川隆史が涙のK-1引退 GBR 2010年1月26日〕。 2010年5月2日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜で松本芳道と対戦し、3Rに右ストレートでダウンを奪われるなどして判定負け。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大月晴明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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