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大村 純信(おおむら すみのぶ、元和4年10月9日(1618年11月25日) - 慶安3年5月26日(1650年6月24日))は、肥前大村藩3代藩主。 2代藩主大村純頼の長男。母は大村頼直の娘。正室は伊丹勝長の娘・松。官位は従五位下、丹後守。 父・純頼が元和5年(1619年)に早世したとき、純信はまだ2歳であり、大村藩はいきなり改易の危機となる。この時、家臣の奔走により幕府に純信の襲封を認めさせることに成功し、元和6年(1620年)に藩主となる。しかし、純信も慶安3年(1650年)に子のないまま33歳で早世し、再び改易の危機に瀕することとなる。正室・松の兄弟である大村純長が末期養子となることでその危機を脱した。 *03 すみのふ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大村純信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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