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大村純忠[おおむら すみただ]
大村 純忠(おおむら すみただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。三城城主。大村氏の第12代当主〔楠戸義昭『戦国武将名言録』P425〕。 永禄6年(1563年)に日本初のキリシタン大名となり〔楠戸義昭『戦国武将名言録』P424〕、長崎港を開港した人物として知られる。同じくキリシタン大名の有馬晴信は甥にあたる。 == 生涯 ==
=== 養嗣子になり家督相続 === 有馬晴純の次男〔。母が大村純伊の娘であったために天文7年(1538年)に大村純前の養嗣子となり〔、天文19年(1550年)に家督を継いだ。純前には実子・又八郎がおり(庶子、後の後藤貴明)、この養子縁組のために貴明は武雄に本拠を置いていた後藤氏に養子に出された。このような経緯から貴明は純忠に恨みを抱き、一方の純忠も「実子をおしのけて家督を継いだ」というプレッシャーを一生感じ続けることになった。また当時の大村領は、肥前佐賀の龍造寺隆信などによる周囲の圧迫もあり、打開策を模索していた。その中で彼が見出した答えがキリスト教であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大村純忠」の詳細全文を読む
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