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大束匡彦 : ウィキペディア日本語版
大束匡彦[おおつか まさひこ]


大束 匡彦(おおつか まさひこ、1986年2月26日 -)は宮崎県出身の日本柔道家。73kg級の選手。身長168cm。組み手は右組み。段位は参段。得意技は背負投〔「柔道全日本強化選手名鑑 2013」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年4月号〕。現在は九州医療スポーツ専門学校に所属している。2011年には正彦を匡彦と改めた〔「講道館杯全日本選抜体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年1月号、30頁〕〔〕。
==人物==
柔道は7歳の時に始めた〔。高原中学2年の時に全国中学校柔道大会65kg級で3位になると、3年の時には73kg級で優勝を飾った〔。2001年に東海大相模高校へ進学すると、1年の時に全国高校選手権団体戦で2位となった。2年の全国高校選手権では3位だった。3年の時にはインターハイで優勝を飾った〔。2004年には東海大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアで優勝した。世界ジュニアでは準決勝で韓国の金宰範に指導1で敗れて3位にとどまった〔。一方、1年と2年の時には学生体重別団体でチームの優勝に貢献した。3年の時には選抜体重別講道館杯でそれぞれ2位となった。4年の時にはユニバーシアードに出場すると、決勝で金宰範を2-1の判定で下して優勝を飾った。また、団体戦でもチームの優勝に貢献した〔。嘉納杯では3位だった〔。2008年には旭化成所属となった。選抜体重別では決勝で了徳寺学園金丸雄介と対戦して、優勢に試合を進めながらGSに入ってから小内刈で有効を取られて敗れ、北京オリンピック出場はならなかった〔「全日本選抜体重別選手権」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年5月号、27頁〕。2009年には選抜体重別で優勝を飾って世界選手権代表に選ばれた。世界選手権では初戦でグルジアのダビド・ケフキシビリと対戦して、先に大外刈で技ありを取りながら、終了20秒前に釣腰で逆転負けを喫した〔。グランドスラム・東京では準々決勝で世界チャンピオンである韓国の王己春と対戦して、払腰体落で有効2つと指導2を取るなど大きくリードしながら、終了2秒前に指導3を取られ逆転負けして5位に終わった〔〕。2010年の世界団体では決勝のブラジル戦で一本勝ちして、チームの優勝に貢献した。2011年5月には心機一転、それまでの正彦という名を匡彦に改名すると、11月の講道館杯では優勝を飾った〔。2012年の選抜体重別と講道館杯ではともに3位だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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