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大東亜省[だいとうあしょう]
大東亜省(だいとうあしょう)は、戦時中の1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)にかけて設置されていた日本の省庁。委任統治領、及び占領地域の統治を業務とした。 ==概説== 大東亜省は、東條英機内閣(提案の中心となったのは鈴木貞一企画院総裁)によって、1942年(昭和17年)11月1日に設置された。大東亜省は、拓務省を他省庁(興亜院、対満事務局、外務省東亜局及び南洋局)とともに一元化したものであり、官房、参事、総務局、満洲事務局、支那事務局及び南方事務局によって構成されていた。構想されていたのは、いわゆる大東亜共栄圏諸国を、他の外国とは別扱いとして外務省の管轄から分離させることにより、大日本帝国(日本)の対アジア・太平洋地域政策の中心に据えることであった。モデルとされたのは、イギリスにおけるインド植民省であった。(ちなみに現在のイギリスは外務省と英連邦省を統合し外務・英連邦省としている。) なお、大東亜省の設置の際、外務大臣東郷茂徳は抗議して辞任している。東郷は、その設置が「二元外交」を招くとともに、上記地域の植民地支配を日本が画策しているという誤ったメッセージとしてアジア諸国や敵国(連合国)から受け取られかねないことを懸念したためである。ちなみに専任の大東亜大臣は初代の青木一男のみでありその後は外務大臣が兼務したものの、青木の在任期間は後の四代の合計よりはるかに長い。 上記目的にて設置されたものの、第二次世界大戦(大東亜戦争)の戦況が悪化するにつれ大東亜省の存在意義は当初の理想とはかけ離れたものとなった。敗戦後の1945年(昭和20年)8月26日の勅令(大東亜省廃止ニ伴フ外務部内臨時職員設置制中改正等ノ件 昭和20年8月26日勅令第491号)により、大東亜省は即日廃止され、外務省に吸収された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大東亜省」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ministry of Greater East Asia 」があります。
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