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大條氏 : ウィキペディア日本語版
大條氏[おおえだ]

大條氏(おおえだ)氏は、陸奥国の大名・伊達氏庶流。もとは大枝と表記した。
== 概要 ==
伊達氏第8代当主伊達宗遠の二男・宗行が、伊達郡東大枝(現:伊達市梁川町東大枝)の袖ヶ崎に居館(大枝城)を築き、大枝氏を称した(この頃西大枝には既に伊達家臣・伊藤(西大條)氏が地頭として配置されていた)。
大枝氏は『天正伊達日記』には「大枝殿」と敬称付きで記載されており、また文明15年(1483年)の伊達成宗の上洛に随伴して金銭・刀剣を将軍・幕閣に献上するなど、家中でも高い地位を占めていた。
第7代・宗直のとき、天正19年(1591年)に葛西大崎一揆後の再仕置で伊達政宗岩出山城へ減転封され伊達郡を没収されると、宗直も伊具郡大蔵に移され、文禄2年(1593年)にはさらに志田郡蟻ヶ袋へと移された。本領を離れて以後、それまでの大枝表記に代わって大條(大条)表記が用いられるようになり、今日に至っている。
関ヶ原の戦いの後、宗直は政宗による岩崎一揆煽動により緊張が高まっていた盛岡藩境への抑えとして、慶長9年(1604年)には気仙郡長部の二日市城主となり、中島宗求と共に藩境沿岸部の守りを固めた。宗直の子・宗綱は慶長18年(1613年)に長部から磐井郡大原へ移され、ついで元和2年(1616年)に知行2,000石を以て亘理郡坂元城主となった。大條氏本家はのち4,000石まで加増され、以後幕末に至るまで同地を治めた。
最後の坂元城主であった第17代当主・道徳は明治時代に伊達姓に復し、名を伊達宗亮に改めている(ただし復姓したのは坂元の大條本家のみ)。
;坂元大條氏の所領
※特記なきものは全て相給
*亘理郡:3か村(坂元・真庭・高瀬)
*刈田郡:1か村(永野)
*柴田郡:2か村(小泉・四日市場)
*加美郡:1か村(小野田)
*志田郡:1か村(福沼)
*遠田郡:3か村(北浦・関根・上埣)
*桃生郡:1か村(鹿又)
*牡鹿郡:1か村(真野)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大條氏」の詳細全文を読む



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