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大森一樹 : ウィキペディア日本語版
大森一樹[おおもり かずき]

大森 一樹(おおもり かずき、1952年3月3日 - )は、日本男性映画監督脚本家株式会社ファーストウッド・エンタテインメント代表取締役。大阪芸術大学芸術学部映像学科長。
== 略歴 ==
大阪市生まれ。六甲高等学校京都府立医科大学医学部卒業。
漫画少年でもあり、学生時代は真崎守の作品などに影響を受ける。
一方高校の時から映画監督を目指して自主映画を制作し、村上知彦と知合う。大学在学中の1973年から、村上・西村隆らと映画自主上映グループ「グループ無国籍」を結成し、新開地の映画館で邦画のオールナイト上映企画を行った。また、やはり大学時代に完成させた16ミリ映画『暗くなるまで待てない!』が、キネマ旬報ベスト10で21位に入るなど、高く評価される。
1978年、「城戸賞」受賞のシナリオを自ら監督した『オレンジロード急行』で商業映画デビュー。前年の東宝の大林宣彦、同年の日活の石井聰亙らとともに、自主映画作家が助監督経験なしに大手撮影所でいきなり監督をつとめるムーブメントとして話題を呼ぶが、CFの分野で商業映像の経験が豊富だった大林、澤田幸弘との共同監督という形だった石井に対し(脚本もそれぞれ別のプロが執筆している)、まったくのアマチュアでありながらメジャー松竹の番線作品で単独の脚本兼監督を担当した大森の事例は際立っており、今日に至るまで類例がない。この作は必ずしも高い評価を受けられなかったが、自身の体験を元にして大学病院を舞台にした作品『ヒポクラテスたち』で映画作家としてブレイクする。以降、村上春樹作品の映画化『風の歌を聴け』を経て、吉川晃司主演三部作あたりから、会社企画の娯楽映画もきちんと仕上げられる監督として東宝の信頼が厚くなり、斉藤由貴主演の三部作、平成ゴジラシリーズなど、コンスタントに作品を作り続けている。
1998年に『日本沈没1999』の監督に起用されたが、松竹の経営不振により、製作中止になった。
2000年4月から2005年3月大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科教授。 2005年4月から大阪芸術大学芸術学部映像学科・同大学院教授。
2015年第28回東京国際映画祭のコンペティション部門審査員を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大森一樹」の詳細全文を読む



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