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大森吉五郎 : ウィキペディア日本語版
大森吉五郎[おおもり きちごろう]

大森 吉五郎(おおもり きちごろう、1883年明治16年)4月11日〔『人事興信録』第10版 上、オ167頁。〕 - 1946年昭和21年)〔『京都市姓氏歴史人物大辞典』197頁。〕)は、日本の内務警察官僚政治家民政党系官選県知事京都市長
==経歴==
岡山県上道郡中井村(現岡山市中区中井)出身〔。大森久五郎の長男として生まれる〔。岡山中学校〔『岡山県歴史人物事典』212頁。〕、第三高等学校 〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』197頁。〕を卒業。1908年京都帝国大学法科大学政治学科を卒業〔。内務省に入省し京都府属となる。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格した〔。
1910年京都府南桑田郡長に就任〔。以後、京都市助役熊本県理事官愛媛県警察部長、神奈川県警察部長、神奈川県港務部長、熊本県内務部長、長崎県内務部長、北海道庁土木部長など歴任〔。
1925年10月、山口県知事に就任。農村の救済のため各種の副業を奨励し「副業知事」と呼ばれた。その他、電気事業の統一、機構改革、穀物検査事業の県営移管などを推進〔『新編日本の歴代知事』858頁。〕。1929年7月、熊本県知事に転任。濱口内閣の方針に従い、新規事業を一切計上しない緊縮予算を編成した。そのため、政友会が多数を占める県会で厳しい対立が続いた〔『新編日本の歴代知事』1044頁。〕。1930年7月22日に知事を依願免本官となり退官した〔〔『官報』第1069号、昭和5年7月23日。〕。
1931年南満州鉄道理事となる〔。1932年、京都市長に就任。行政改革、下水道事業の促進、災害復旧などを推進。1935年、市長赴任旅費支払いの問題などから市会で不信任決議が出されて、市長を辞任した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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