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大森時長[おおもり ときなが] 大森 時長(おおもり ときなが、元禄3年(1690年) - 宝暦11年11月6日(1761年12月1日))は、江戸幕府の旗本。使番、目付、長崎奉行などを歴任した。 == 略歴 == 土屋市之丞正敬の三男として生まれる。元は半七郎と称する。 宝永6年(1709年)4月6日、書院番士に列する。後に大森勝長の養子となり、正徳2年(1712年)5月26日、勝長の遺跡を継ぐ(石高1470石)。享保7年1722年正月11日、使番に転じ、同年12月18日に布衣となる。同9年(1724年)6月2日、郡山城の柳沢吉里への引渡しの役を勤める。享保11年(1726年)正月28日に目付となり、同15年(1730年)7月28日に長崎に赴き8ヵ月間同地に滞在する。 享保17年(1732年)8月7日、当時江戸在勤であった長崎奉行三宅周防守康敬が大目付に転任したため、その後任として長崎奉行となり、同10月28日に従五位下山城守に叙任する。享保19年(1734年)2月4日、越度が少なからずとして、奉行を罷免され小普請落ちとなり出仕を止められるが、同年4月3日許される。 宝暦10年(1760年)5月9日に致仕し、同11年(1761年)11月6日死去。享年72。法名は宗源。
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