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大植英次 : ウィキペディア日本語版
大植英次[おおうえ えいじ]

大植 英次(おおうえ えいじ、1956年10月3日 - )はクラシック音楽指揮者。大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者。
==経歴==

===生誕~大阪フィルハーモニー交響楽団以前===
広島市佐伯区で生まれ、4歳よりピアノをはじめる。ティンパニ、トロンボーン、フルート、ホルンなど多くの楽器を経験。桐朋学園斎藤秀雄に師事、1978年小澤征爾の招きで渡米。タングルウッド音楽祭に参加。幼少の頃からの憧れであったバーンスタインと出会い、各地の演奏会で助手をつとめた。1990年の第1回PMF音楽祭では病で帰国したバーンスタインの代演をしている。なお、バーンスタイン没後、遺族からバーンスタインが最後のコンサートで使った指揮棒とジャケットを形見分けされている。
1986年にバッファロー・フィル準指揮者に就任、1990年から1992年までPMFオーケストラのレジデント・コンダクターを経験する。1991年から1995年までエリーフィルハーモニー音楽監督、1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督。1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、2009年から終身名誉指揮者。それぞれのオーケストラの力を飛躍的に伸ばしたとされる。エリー市には大植の功績を称えてその名を冠した通りがあり、大植の誕生日は市の休日である。ミネソタ時代にはシリアルフレークのパッケージやバスの車体広告にその姿があしらわれたり、アイスホッケーの始球式や大リーグの始球式に招かれたりもしている(うち1回はイチローを相手に投球している)。
2000年からはハノーファー音楽大学終身正教授もつとめ、指揮科で学生の指導にあたっている。
1997年から2003年まで、米国ワイオミング州のグランド・ティートン音楽祭で音楽監督もつとめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大植英次」の詳細全文を読む



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