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大楠 道代(おおくす みちよ、1946年2月27日 - )は、日本の女優。中華民国天津市出身。旧姓は安田。 ==来歴・人物== 武庫川女子大学附属中学校・高等学校を経て、武庫川学院短期大学国文科に進学した。 1964年、大学在学中に日活にスカウトされ、在学のまま吉永小百合主演の映画『風と樹と空と』で本名の安田 道代でデビュー。翌年、知人に勝新太郎を紹介され、勝にその才能を惚れ込まれて大映と正式に契約。短大を中退し、本格的に女優に専念。大映宣伝部は山本富士子の再来と大々的に売り出す。 入社第1作は若尾文子主演の『処女が見た』で、勝の実兄の城健三朗と共演した。これが成功してスター女優として歩みだす。城とは実生活で恋仲になったという。 1967年、『痴人の愛』でナオミ役を演じたのをきっかけに、青春スター路線から異色演技派女優に転身。1968年から1969年にかけて低予算の「秘録おんな」シリーズ、「関東おんな」シリーズなどの「エログロ・異色時代劇路線」と呼ばれる一連のシリーズに主演。また一方で、「悪名」シリーズや「兵隊やくざ」シリーズで勝新太郎、『新書・忍びの者』では市川雷蔵の相手役を演じる。大映の経営が傾くなか、官能路線からくノ一役まで、様々な役をこなした。『笹笛お紋』(1969年)では女版「木枯らし紋次郎」、『女左膳濡れ燕片手斬り』(1969年)では女版「丹下左膳」を演じている。 1968年、タイの首都バンコクで2月11日から15日まで開催された「バンコク日本映画週間」にいしだあゆみ・大原麗子・早瀬久美・山本陽子ら女優陣の一人として出席。初日には同国のプミポン国王とシリキット王妃が出席し『日本のいちばん長い日』を鑑賞した。 1971年の大映倒産の後はフリーとなり、若手ながら成熟した大人の女性を数多く演じた。 1976年に日本のデザイナー・ブランドの先がけ「ビギ」の設立者のひとりである大楠裕二と結婚し、芸名も大楠道代に改名した。1980年代のビギの全盛期には、ほとんど女優活動をしていない道代が、ビギの役員であるため俳優タレント部門の長者番付の上位に並ぶことになった。 1980年に公開された映画『ツィゴイネルワイゼン』で日本アカデミー賞ほか数多くの映画賞を獲得した。 以後、阪本順治監督作品を中心に出演を重ね、演技派女優としての地位を不動のものにする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大楠道代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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