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大楽毛駅(おたのしけえき)は、北海道釧路市大楽毛5丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はK50。電報略号はシケ。 == 歴史 == * 1901年(明治34年)7月20日 - 北海道官設鉄道の駅として開業〔。一般駅 * 1903年(明治36年)頃 - 舌辛(現・釧路市阿寒町)市街地より当駅まで、釧路炭礦及び澤口炭礦により馬車鉄道が敷設〔釧路叢書 第14巻「釧路の石炭」及び 第26巻「釧路の産業史」。〕〔大日本帝國陸地測量部 大正12年発行 5万分の1地形図「舌辛」「大楽毛」によれば、舌辛市街の駅(現・阿寒町旭町2丁目)()からさらに舌辛村音別(現・阿寒町富士見)()の炭鉱へ伸びていた。また大楽毛までの中間地点()に「中茶屋」という中継駅を有していた。現在の国道240号「まりも国道」の阿寒町旭町から大楽毛市街北側(ホクレン釧路地区家畜市場辺り)までは、同軌道と完全に重なる。ここからは市街地を迂回するように東側外周を回り込んで当駅表東側へ接続していた。阿寒町百年史 P469では、延長18km、石炭のほか人も乗せたとされる。〕。 * 1905年(明治38年)4月1日 - 官設鉄道に移管。 * 時期不詳(大正8年以降) - 現・阿寒町飽別に、富士製紙から分離独立した富士電気株式会社(後に北海道電灯を経て大日本電力)が大正8年に新富士の製紙工場向けに飽別発電所(第1発電所)を建設。当駅-舌辛間の馬車鉄道が当発電所()まで延伸〔大日本帝國陸地測量部 大正12年及び昭和6年発行 5万分の1地形図「舌辛」「徹別」にて「馬車軌道」が記載されている。また同地図によれば、途中の徹別発電所(第2発電所)へも支線が分岐していた。発電所については釧路叢書「釧路の産業史」より。ただし同書によれば発電所の建設資材や機械類は馬車及び馬橇にて運搬とされていて、飽別や徹別発電所への馬車鉄道についての記述は一切無い。〕。 * 時期不詳 - 当駅-舌辛-飽別の馬車鉄道廃止〔阿寒町百年史〕〔ちなみに澤口炭礦は大正12年閉山。〕。 * 1959年(昭和34年)9月15日 - 本州製紙(後の王子製紙)釧路工場操業開始。専用線運用開始〔1957年(昭和32年)11月に大方敷設完了。1958年(昭和33年)にはこの専用線を使用して機械類の搬入を行っているが、直径5.5m、長さ26m、重量62tの大物機械搬入に際しては、国鉄シキ100形貨車を本州から回送して工事に当たらせた。(釧路の製紙(下))〕〔全国専用線一覧昭和45年版では作業距離2.5km、総延長8.4km。〕。 * 1978年(昭和53年)11月25日 - 人道渡線橋が完成〔。 * 1979年(昭和54年)7月15日 - 専用線発着を除く車扱貨物の取扱を廃止。 * 1984年(昭和59年)2月1日 - 車扱貨物・荷物の取扱を全廃。王子製紙釧路工場専用線廃止。 * 1986年(昭和61年)11月1日 - 簡易委託化。 * 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道が継承。 * 1989年(平成元年)10月2日 - 現在の駅舎に改築〔〔“駅と市支所が“合体” 釧路”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年10月4日)〕。釧路市役所大楽毛支所との合築〔。 * 2001年(平成13年) - 簡易委託終了、無人化。 == 駅構造 == 1面2線の島式ホームを持つ地上駅。1番のりばが本線であるため、上下列車とも基本的に1番のりばを使用している。両ホームは跨線橋で連絡している。元々は駅舎に直面する1番のりばが存在したが、合理化により廃止され島式ホームの2番のりば・3番のりばをそれぞれ1番のりば・2番のりばとした。 駅舎が駅構内の北側にある。現在は釧路駅管理の無人駅となっている。駅舎内には閉鎖された窓口のほか、自動券売機(稼働時間7時00分 - 18時00分)が設置されている。朝と夕方に釧路方面から当駅始終着の列車が1日2本存在するが、土曜・休日ダイヤは運休となる。 駅は、戦後直後まで軍馬(釧路種)の一大集散地として発展していた。戦後、本州製紙(現在は王子製紙)釧路工場が近隣へ開設されるのに伴い、原料となる木材チップや製品の取扱を開始し、道内有数の貨物取扱駅となった。しかし昭和50年代頃より木材チップの工場搬入が順次トラック輸送に切り替わり、貨物取扱は廃止され、専用線も撤去された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大楽毛駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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