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大橋幡岩[おおはし はたいわ] 大橋 幡岩(おおはし はたいわ、1896年3月17日 - 1980年12月23日)は、日本のピアノ調律師・ピアノ製造技師である。 == 人物・略歴 == 1896年、静岡県磐田に生まれ、1909年に日本楽器製造株式会社(現・ヤマハ株式会社)に入社。ピアノ技術者の始祖といわれる山葉直吉の弟子となる〔『楽器の事典 ピアノ』東京音楽社、1982年、ISBN 4-88564-036-9:319頁「日本の名調律師」〕。日本楽器在職中はピアノ研究所長などを歴任したが、1937年には小野ピアノ製作所の工場長に就任し、ホルーゲルピアノの設計と製作にあたる。 1948年に浜松工業株式会社役員に就任し、ディアパソンの第1号を完成させた〔ディアパソンの出発点 〕。1958年、大橋ピアノ研究所を設立し、「オオハシ」のブランドで製作する〔『日本のピアノ100年』草思社 2001年 ISBN 4-79421086-8 119頁「東京楽器研究所の創設」〕。 1980年、84歳で死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大橋幡岩」の詳細全文を読む
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