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大橋本家 : ウィキペディア日本語版
大橋家[おおはしけ]

大橋家(おおはしけ)は江戸時代将棋家元(将棋三家)の一家。初代大橋宗桂が祖。将棋三家には分家である大橋分家があり、それとの区別で特に大橋本家とも呼ばれる。身分は御用達町人
== 概要 ==
二代宗古の時代に大橋分家伊藤家の将棋三家による家元制度を確立したが、大橋家は宗古の孫の四代宗伝の早世で断絶の危機を迎え、伊藤家より養子(五代宗桂)を迎えようやく存続した〔大内延介天狗太郎『名匠の棋跡』29頁〕。以後も五代宗桂の養子の六代宗銀が伊藤家の伊藤印達との57番勝負に負け越す〔大内延介『将棋の世界』88頁〕など不振が続き、再度伊藤家より養子を迎えることとなる(八代宗桂)。八代宗桂の子の九代宗桂が八世名人となるも、以降は目立った活躍もなかったが、十一代宗桂の門人から天野宗歩小野五平が出ている。
明治時代になり、他の将棋三家と共に家元としては廃絶したが、子孫は現存している〔江戸期家元・大橋家子孫の井岡さん、棋譜、家系図など500点 〕。
初代宗桂の墓所は京都の本法寺教行院にあるが、二代宗古の墓石は行方不明となっている。三代宗桂以降の歴代当主の墓所は伊勢原市の冨士山上行寺。1928年東京都より史蹟指定を受けている〔茶屋軒三「将棋名人の寺蹟を散歩しよう」(「江戸の名人」番外編)(『将棋世界』2012年3月号145頁)〕。
九代大橋宗桂らが残した「大橋家文書」が発見され、江戸時代将棋指しの実態を知る上で貴重な資料となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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