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大橋穣 : ウィキペディア日本語版
大橋穣[おおはし ゆたか]

大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - )は、東京都新宿区出身(富山県氷見市生まれ)〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、111ページ〕の元プロ野球選手内野手)。台湾における表記は大橋 穰
== 来歴・人物 ==

=== プロ入りまで ===
中学時代に野球を始めると同時に遊撃手となり、以後ずっと遊撃でプレーする〔。日大三高では、1年生の時に、控え内野手として夏の甲子園に出場。準々決勝で村上公康のいた西条高に敗れる〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。には春の選抜に出場、2回戦(初戦)で浪商に敗退している〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。1年下のチームメートに石塚雅二捕手がいた。
卒業後は亜細亜大学に進学。東都大学リーグでは、東山親雄とともに中心打者として活躍。同期のエース森永悦弘(日本楽器)を擁し、秋季リーグで初優勝に貢献、最高殊勲選手となる。秋季リーグでは、同じく同期の西尾敏征(電電中国)の好投もあって2回目の優勝を飾る。リーグ通算83試合出場、274打数69安打、打率.252、20本塁打、47打点。ベストナイン4回。通算20本塁打は当時の東都大学リーグ新記録〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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