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関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(日本時間、以下同様)に関東地方又は近隣で発生した大正関東地震による地震災害である。神奈川県・東京府を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらした。加藤友三郎内閣総理大臣が8月24日(震災発生8日前)に急死していたため、9月1日の地震発生時およびその後は内田康哉が内閣総理大臣臨時代理として職務を代行した。 東日本大震災以前において、日本災害史上最大級の被害であった。復興には相当額の外債が注入された。その半分は、火力発電の導入期にあった電力事業に費やされた〔当時の電力会社の外債発行状況は以下のように英米向けである。復興に不必要な最新設備をゼネラル・エレクトリックなどから購入する費用も含まれている。NHK 1995. :東京電灯 大正12年6月 300万ポンド :大同電力 大正13年8月 1500万ドル :東京電灯 大正14年2月 60万ポンド :宇治川電気 大正14年3月 1400万ドル :東邦電力 大正14年3月 1500万ドル :東邦電力 大正14年7月 30万ポンド :大同電力 大正14年7月 1350万ドル :東京電灯 大正14年8月 2400万ドル :信越電力 昭和2年12月 675万ドル :日本電力 昭和3年1月 900万ドル :東京電灯 昭和3年6月 7000万ドル :東京電灯 昭和3年6月 400万ポンド :東邦電力 昭和4年7月 1145万ドル :日本電力 昭和6年2月 150万ドル :台湾電力 昭和6年7月 2280万ドル 外債を引受けた金融機関を発行元ごとに掲げる。日本興業銀行 『日本外債小史』 1948年 4章4節4-9 :・東京電灯 - 1890年から死ぬまでリチャード男爵が社長だった''Anglo-American Debenture''; ''The Whitehall Trust''; モルガンのギャランティ・トラスト; ラザード; ディロン・リード(ディロン債は信越電力より債務承継) :・大同電力 - ディロン・リード :・宇治川電気 - ''Lee, Higginson & Co.'' :・東邦電力 - ギャランティ・トラスト; ''Pludencial Assurance Co.''; ギャランティ・トラスト :・日本電力 - ''Harris, Forbes & Co.'' :・台湾電力 - JPモルガン; クーン・レーブ; ナショナル・シティー; ニューヨーク・ファースト・ナショナル; 横浜正金銀行 ホワイトホール・トラストをつくったピアソンは、1999年までラザード株の半分を保有した。ピアソンの沿革は英語版とPearson plc History を参照されたい。〕。モルガン商会は1931年までにしめて10億円を超える震災善後処理公債を引き受けたが、その額は当時の日本における1年の国家予算に対して6割を超えるものであった〔NHK取材班 『金融小国ニッポンの悲劇』 角川書店 1995年 pp.48-51.〕。引受にはロスチャイルドも参加した。金策には森賢吾が極秘で奔走した。日英同盟のころから政府は資金繰りに苦慮していたが、特にこの復興事業は国債・社債両面での対外債務を急増させた。復興事業では電話の自動交換機が普及した〔田原啓祐 関東大震災後における逓信事業の復旧と善後策 科学研究費補助金若手研究(B)「戦前期における郵便事業の展開と社会への普及 過程」(研究課題番号:23730332)による研究成果の一部。p.36.〕。 == 状況 == 東京帝国大学理科大学教授寺田寅彦は、上野で開催されていた二科会の招待展示会に出向き、喫茶店で知人の画家津田青楓と歓談中に被災。その時の状況を以下のとおり詳細に記録している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関東大震災」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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