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大正広重 : ウィキペディア日本語版
吉田初三郎[よしだ はつさぶろう]

吉田 初三郎(よしだ はつさぶろう、1884年3月4日 - 1955年8月16日)は大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師。元の姓は。生涯において3000点以上の鳥瞰図を作成し、「大正広重」と呼ばれた。
== 来歴・人物 ==
京都生まれ〔。元の姓は泉で、1歳の時に父親が亡くなったため母方の姓を名乗る。10歳で友禅図案師に丁稚奉公する。25歳のとき鹿子木孟郎に師事して洋画を学ぶが、鹿子木のすすめで商業美術に転向する。
1914年、最初の鳥瞰図である『京阪電車御案内』が、修学旅行京阪電車に乗られた皇太子時代の昭和天皇の賞賛を受ける〔「吉田初三郎」『測量・地図ミニ人物伝:吉田初三郎|国土地理院 国土地理院。〕。
大正から昭和にかけて日本の観光ブームによって初三郎の鳥瞰図の人気は高まり、大正名所図絵社(のち観光社と改称)を設立する〔。その顧客は国内の交通行政を所轄し、観光事業にも強い影響力を持っていた鉄道省を筆頭に、鉄道会社バス会社船会社といった各地の交通事業者、旅館ホテル地方自治体、それに新聞社などであった。鉄道開業50周年を記念して『鉄道旅行案内』の刊行を決定した鉄道省1921年に初三郎にその挿絵として全国各地の鳥瞰図の執筆を依頼、その後も国際観光局の国外向け「Beautiful Japan」キャンペーンポスター(1930年作成。鳥瞰図ではないが、その画題から「フジヤマ」、「サクラ」、「ゲイシャガール」という欧米でのその後の日本のパブリックイメージ形成に重要な役割を果たした)など、その関係は長く続いた。
この時代、全国(満州台湾を含む)から鳥瞰図製作の依頼が殺到し、初三郎は犬山市八戸市種差海岸)など、拠点を移しながら、多くの弟子とともに製作に当たっている。珍しいものとしては、幻に終わった東京万博の会場図を描いている。
高松宮宣仁親王など皇族や松井石根など軍人との交友も広く、驚異的なペースで依頼を受け、鳥瞰図を製作し続けた。しかし、第二次世界大戦が進む中、初三郎式鳥瞰図は港湾等の軍事機密が見て取れ、地政学上好ましくないという軍部の判断の下、不遇の時代を送る〔。
戦後、初三郎が最初の大きな仕事として引き受けたのは、広島原爆の被害を鳥瞰図にする仕事だった。知遇を得た昭和天皇を敬愛し、日本を愛した初三郎は、渾身の図をまとめ、世を去ることとなる。
死後は忘れられていたが、1999年堺市博物館で大規模な回顧展が開かれたのを契機として各地の博物館で展覧会が開かれ、再評価されるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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