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大歩危峡遊覧船 : ウィキペディア日本語版
大歩危峡遊覧船[おおぼけきょうゆうらんせん]

大歩危峡遊覧船(おおぼけきょうゆうらんせん)は徳島県三好市大歩危峡を行き来する観光遊覧船
== 歴史 ==
明治24 - 25年頃、国道開通景気にあおられて宿屋兼飲食店(現在のレストラン大歩危峡まんなか・峡谷の湯宿大歩危峡まんなか)を始めた大平磯吉(山城町水無)が一艘のかんどり舟を仕立ててきぎやの漁を始めた。朝夕に吉野川を上下する内、その景観にうたれ、宿泊客を舟に乗せて大歩危を見せ、喜ばせた。明治42年、時の逓信大臣後藤新平が土佐へ向かう途中、紅葉に染められた大歩危の美しさに打たれ、「岩に題す 天下第一歩危の秋」と詠った。天下の名勝として紹介されたのはこの一句によってと言われている(現在、レストラン大歩危峡まんなかの敷地内に石碑がある)。
磯吉の死後、息子の大平一五郎が志をついで画策大いに努める。旧式の舟に見切りをつけて発動機付の新型船とし、鉄道の開通の好機をとらえ西日本に大歩危ありを広く宣伝紹介し、一方遊覧地の先進地の見学研究を怠らず躍起になって働く。村議であり町議にもなった関係上、徳島県に対し観光事業を積極的に進めることを再三申し入れた。その甲斐あってか大歩危が県立公園となり、次いで剣山国定公園に編入されたのを受け遊覧船は次第に大型化し、30人余りを乗せて短時間で往復できるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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