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大気汚染物質 : ウィキペディア日本語版
大気汚染[たいきおせん]

大とは地球の大気|大気]]中の微粒子気体成分が増加して、人の健康環境に悪影響をもたらすこと。人間の経済的・社会的な活動が主な原因である。自然に発生する砂嵐山火事なども原因となるが、自然由来のものは大気汚染に含めない場合がある〔『気候学・気象学辞典』<初版>、300-301頁「大気汚染」、河村武〕〔『気象と地球の環境科学』、§8、99-111頁〕。
世界保健機関(WHO)によると2011年
時点で年間1人が大気汚染により死亡している〔。特に発展途上国都市部を中心に汚染が悪化しており、経済協力開発機構(OECD>私の健康がたちまち回復するのを感じた。 |セネカ、61年〔スパーン、高山(1995年)『アーバン エコシステム 自然と共生する都市』44頁 = K. C. Heidorn、1978年の論文 より引用。〕}}
大気汚染について述べた最も古い部類の文献としては、61年に古代ローマセネカが都市の煙や悪臭を嘆いた記述がある〔『環境気候学』、§6-3、222-231頁〕〔『アーバン エコシステム 自然と共生する都市』、§2、41-64頁〕。
イギリス ロンドンでは9世紀半ばにすでに「空気の悪さ」が知られていた。発展する工業や家庭用暖房の燃料として石炭の使用の増加、大気汚染が進んで人体への影響が問題になり、1273年には健康を害するとして石炭の使用を禁止、1306年には職人が炉で石炭を焚くことを禁止した。しかし、代替燃料が無かったため長続きせず、街の発展や人口の増加とともに深刻化していった。16世紀には、感染症大火とともに大気汚染が大きな問題となった。当時の女王エリザベス1世は、議会の開催中にロンドン市内で石炭を燃やすことを禁止する命令を出している。ただ、17世紀後半の国王ウィリアム3世がロンドン市街の大気汚染を避けて当時はまだ郊外であったケンジントン宮殿に移るなど、依然として汚染は続いた〔〔〔〔。
ロンドンでは19世紀に入ると、汚染の酷い時期の「死者の増加数」が発表されるほど大気汚染は深刻化した。1905年には医師H. A. デ・ボーがロンドンの大気汚染に対してsmoke(煙)とfog(霧)を合成したsmog(スモッグ)という言葉を初めて用いた〔。以下、20世紀前半からの世界の大規模な大気汚染の事例を挙げる。
* 1910 - 1920年 ロンドンでは、市街地の煤塵の降下量が1km2当たり年間200トン(1日で1m2当たり0.6gに相当する)に達した〔。
* 1930年12月 ベルギー マース川沿いの町エンギス(Engis)で、工場排気によるスモッグを伴った汚染が原因で健康被害が発生、通常の死亡数の10倍に相当する60人が死亡。家畜、鳥、植物にも被害を及ぼした〔〔『二訂・大気汚染対策の基礎知識』、1頁〕〔Roholm, K. (1937). "The fog disaster in the Meuse Valley, 1930: A fluorine intoxication". ''J. Ind. Hyg''. Toxicol
19 (3): 126–137.〕。()
* 1944年頃から アメリカ ロサンゼルスで、眼、鼻、気道などの粘膜の持続的・反復性刺激を伴う「白いスモッグ」による大気汚染が発生し始めた。はじめは原因物質が何であるかよく分からなかったが、後に光化学オキシダントによるものと判明した。ロサンゼルスは盆地状の地形で汚染物質が滞留しやすく、高気圧下で風の弱かった1951年夏には高齢者約400人が死亡している。対策は行われているが、21世紀に入ってからも続いている〔〔。
* 1948年10月 アメリカ ペンシルバニア州ドノラ(Donora)で、工場排気による汚染が発生、人口14000人中43%が重軽傷を負い、18人が死亡した。後に、無風状態が続いたことや川沿いの谷状の地形であったことが汚染物質を滞留させ、被害を大きくしたと分析されている〔〔。()
* 1950年11月 メキシコ ベラクルス州ポザリカ(Poza Rica)で、ガス工場の事故により大量の硫化水素ガスが漏れ出し、住民22000人中22人が死亡した。後に、盆地の中で弱風状態にあったことやが発生していたことが被害を大きくしたと分析されている〔〔。
* 1952年12月 ロンドンで二酸化硫黄(亜硫酸ガス)を多く含んだ濃いスモッグが5日間にわたって停滞、約4,000人の死者を出した。これを契機としてイギリスでは大気浄化法が制定された〔〔。1962年1月にも同様の大規模なスモッグが発生し、このときは数100人が死亡した〔。(ロンドンスモッグ
* 1984年12月2日 - 3日 インド マディヤ・プラデーシュ州ボパールの化学工場で、作業ミスにより有毒ガスのイソシアン酸メチルが約2時間にわたり計40トン流出、風で市街地に流れて滞留し住民に健康被害をもたらした。死者は14,000 - 20,000人、被害者は35 - 40万人とされ、家畜の牛4,000頭も死亡、後遺症も報告されている。汚染物質の比重が重かったことや大気の混合度が低い深夜であったこと、適切な対応がとられず住民が避難できなかった事などが被害を拡大させた〔「インド、ボパールの化学工場でタンクに貯蔵していた毒性のイソシアン酸メチルが漏出し、世界史上最悪の化学災害となった。 」「インド・ボパール工場で有毒ガス流出、4000人以上が死亡。 」失敗知識データベース、2013年2月3日閲覧〕。(ボパール化学工場事故
* 2013年1月10日頃より北京を中心とする華北の広範囲で高濃度汚染(スモッグ)が発生し、2月初旬までの3週間に亘って継続した。その間の最も汚染が酷かった1週間には、華北から中原さらに華東経て雲貴高原にまで至る国土の約3分の1(後日の発表では4分1とも言われている)で高濃度汚染(スモッグ)の発生が確認され、1月28日には中国主要74都市の約半分で空気質指数が最悪の「深刻な汚染」レベルに達した〔「中国、有害スモッグが3分の1の地域で発生 経済構造の調整に警鐘 」新華網、2013年01月29日付、2013年5月6日閲覧〕〔「有害濃霧、かすむ毛沢東 中国、全土3分の1汚染 」47NEWS、2013年1月28日付、2013年5月6日閲覧〕。
19 (3): 126–137.〕。()
* 1944年頃から アメリカ ロサンゼルスで、眼、鼻、気道などの粘膜の持続的・反復性刺激を伴う「白いスモッグ」による大気汚染が発生し始めた。はじめは原因物質が何であるかよく分からなかったが、後に光化学オキシダントによるものと判明した。ロサンゼルスは盆地状の地形で汚染物質が滞留しやすく、高気圧下で風の弱かった1951年夏には高齢者約400人が死亡している。対策は行われているが、21世紀に入ってからも続いている〔〔。
* 1948年10月 アメリカ ペンシルバニア州ドノラ(Donora)で、工場排気による汚染が発生、人口14000人中43%が重軽傷を負い、18人が死亡した。後に、無風状態が続いたことや川沿いの谷状の地形であったことが汚染物質を滞留させ、被害を大きくしたと分析されている〔〔。()
* 1950年11月 メキシコ ベラクルス州ポザリカ(Poza Rica)で、ガス工場の事故により大量の硫化水素ガスが漏れ出し、住民22000人中22人が死亡した。後に、盆地の中で弱風状態にあったことやが発生していたことが被害を大きくしたと分析されている〔〔。
* 1952年12月 ロンドンで二酸化硫黄(亜硫酸ガス)を多く含んだ濃いスモッグが5日間にわたって停滞、約4,000人の死者を出した。これを契機としてイギリスでは大気浄化法が制定された〔〔。1962年1月にも同様の大規模なスモッグが発生し、このときは数100人が死亡した〔。(ロンドンスモッグ
* 1984年12月2日 - 3日 インド マディヤ・プラデーシュ州ボパールの化学工場で、作業ミスにより有毒ガスのイソシアン酸メチルが約2時間にわたり計40トン流出、風で市街地に流れて滞留し住民に健康被害をもたらした。死者は14,000 - 20,000人、被害者は35 - 40万人とされ、家畜の牛4,000頭も死亡、後遺症も報告されている。汚染物質の比重が重かったことや大気の混合度が低い深夜であったこと、適切な対応がとられず住民が避難できなかった事などが被害を拡大させた〔「インド、ボパールの化学工場でタンクに貯蔵していた毒性のイソシアン酸メチルが漏出し、世界史上最悪の化学災害となった。 」「インド・ボパール工場で有毒ガス流出、4000人以上が死亡。 」失敗知識データベース、2013年2月3日閲覧〕。(ボパール化学工場事故
* 2013年1月10日頃より北京を中心とする華北の広範囲で高濃度汚染(スモッグ)が発生し、2月初旬までの3週間に亘って継続した。その間の最も汚染が酷かった1週間には、華北から中原さらに華東経て雲貴高原にまで至る国土の約3分の1(後日の発表では4分1とも言われている)で高濃度汚染(スモッグ)の発生が確認され、1月28日には中国主要74都市の約半分で空気質指数が最悪の「深刻な汚染」レベルに達した〔「中国、有害スモッグが3分の1の地域で発生 経済構造の調整に警鐘 」新華網、2013年01月29日付、2013年5月6日閲覧〕〔「有害濃霧、かすむ毛沢東 中国、全土3分の1汚染 」47NEWS、2013年1月28日付、2013年5月6日閲覧〕。
=== 研究と対処の進展 ===
大気汚染の研究が進展したのは20世紀に入ってからである。著名な研究として、都市気候の中での大気汚染を論じたもの(A. クラッツァー(en)、1937年、ドイツ)、工業地域や都市での石炭の消費と大気汚染や煤塵の関係を論じたもの(C.E.P. ブルックス、1950年)、ロンドンにおける公園とその周囲の大気汚染を調べ比較したもの(C.W.K. ウェインライト、1962年)、大気汚染と都市計画について論じたもの(R.E. マン、1959年)などがある。これらを通じて集められた知見は法規制や大気汚染の予測へと進展する〔。
日本では、1960年代に大気汚染の増加とともに研究が進展した。初期の著名な研究として東京川崎の大気汚染について述べた伊藤、箕輪の研究があり、これをもとに両名は1965年に「大気汚染気象ハンドブック」を著している。1966年には学術誌『大気汚染研究』(現在の大気環境学会誌)が創刊されている。この頃から国や自治体など行政が主体となった組織的な研究が活発化した〔。1967年に制定・施行された公害対策基本法で「典型七公害」の一つとして大気汚染の規制が開始され、後の1993年には環境基本法に継承された。1968年には大気汚染防止法が制定されている。
中国では、1980年代に研究が始まり、2001年には国内47都市の空気質予報のテレビ放送を開始している〔。
産業革命以来燃料の主力は石炭であり、石炭の燃焼に伴う煤煙を多く含んだ「黒いスモッグ」による大気汚染が多かった。これに対処するため、煤煙の排出を規制することが行われた。煤煙を上空に送るほど気流は安定していて拡散しやすいことから、規制初期には煙突を高くする措置が取られた。例えば、日本では大気汚染対策初期の1970年頃から高さを増した集合煙突が増加した。しかし、これは発生源付近の地上の濃度を下げるだけで、汚染を拡散させているのに過ぎず、本質的な解決ではなかった。後に、煤煙を回収する集塵装置が開発・普及し排気ガス処理が進む〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大気汚染」の詳細全文を読む



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