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大江以言[おおえ の もちとき]
大江 以言(おおえ の もちとき、天暦9年(955年) - 寛弘7年7月24日(1010年9月5日)〔『日本紀略』『一代要記』〕)は、平安時代中期、一条朝の貴族・文人。大隅守・大江仲宣の子。子に成賢・公賢がいる。官位は従四位下・式部権大輔。 == 系譜 == 大江音人の玄孫、千古の曾孫、維明の孫、大隅守仲宣の子。正言・嘉言(ともに勅撰歌人、嘉言は中古三十六歌仙の一)の弟。同時代の大学者大江匡衡とは再従兄弟(同じく大江千古の曾孫)にあたり、文士として並び称され〔『続本朝往生伝』一条天皇の条〕、合作したこともある詩友である〔『江談抄』第四。大江匡衡は以言を高く評価するかたわら、彼が書いた詩序の破題には秀句が無いとの批評も下している。一方、以言も匡衡が書いた願文の秀句(原文は『江談抄』巻六)について評価しなかったとする『水言鈔目録』の注釈がある。〕。 はじめ弓削宿禰を名乗ったが、長保5年(1003年)頃大江姓に復した〔後藤昭雄「大江以言考」(『平安文学研究』第48輯(1972年6月)初出、『平安朝漢文学論考』(桜楓社、1981年)再録)〕。
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