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大江広時 : ウィキペディア日本語版
大江広時[おおえ の ひろとき]

大江 広時(おおえ の ひろとき、旧字体:廣時)は鎌倉時代前期の武将鎌倉幕府御家人。鎌倉幕府政所初代別当大江広元の孫。母は平時家の娘。妻は北条実泰の娘。
== 生涯 ==
大江親広承久の乱で敗れたものの、その時点で祖父大江広元が健在だったこと、兄大江佐房が乱で戦功を挙げたことから幕職に就く。『吾妻鏡』での初出は嘉禎4年(1238年)で、少輔木工助として将軍に随行して上京した〔『吾妻鏡』嘉禎四年二月大十七日癸巳〕。延応元年(1239年)7月、佐房と共に久遠寿量院持仏堂で信濃法印に布施を渡している〔『吾妻鏡』延応元年七月大十五日壬午〕。同年8月の祈祷においても布施を渡す役をしており「諸大夫」とあることから、この時点で従五位だったことがわかる〔『吾妻鏡』延応元年八月小十日丁未〕。
親広没後は次兄大江高元が寒河江荘を受け継ぐものの建長6年(1254年)〔「菅井系図」〕30歳(38歳とも)で早世したため、高元の室・藤原親実の娘が一時相続した後相続するに至る。相続の際、寒河江荘北方(北寒河江荘)は闕所となり北条氏の所領となってしまう。寒河江荘には目代を送り自身は鎌倉にあったものとみられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大江広時」の詳細全文を読む



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