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大江 慎也(おおえ しんや、1958年9月30日 - )は、福岡県北九州市出身のミュージシャンである。 == 略歴 == * 出生名・上野慎也として北九州市八幡西区黒崎の八幡厚生年金病院で生まれ、北九州市若松区に育つ。父は公務員、母は小学校教諭。両親のことを「お父様」「お母様」と呼ぶようしつけられて育ち、幼稚園の時にはヴァイオリンを習い、3歳の時には英語のアルファベットを覚えて言えるようになっていた〔大江慎也「気違いピエロ」(『en-taxi』19号、2007年)。〕。 * 9歳の時、父の愛人問題が原因で両親が離婚したため母方の籍に入り、大江慎也となる〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.37(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。以後は教員として働く母に育てられた。小学校時代は学業やスポーツや図画工作に秀でた人気者だったが、両親の離婚で苗字が変わったことがきっかけでいじめを受けるようになった〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.43(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。 * 緑ヶ丘幼稚園、北九州市立二島小学校から熊本マリスト学園中等部〔最初はラ・サール中学校を受験する予定だったが、鹿児島は遠すぎるという理由で熊本の中学校を受けたという。大江慎也「気違いピエロ」(『en-taxi』19号、2007年)による。〕に進む。同校では級長と副級長を務めたが、複数の先輩から同性愛の相手として言い寄られ〔大江慎也「気違いピエロ」(『en-taxi』19号、2007年)。〕、やがて寮生活の厳しさに疲れると共に勉強漬けの生活に嫌気がさし、1年で自主退学。北九州市立向洋中学校に転入学した頃から、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドアーズ、T・レックスなどを聴くようになる〔大江慎也「気違いピエロ」(『en-taxi』19号、2007年)。〕。このころ、中学の同級生が組んだアマチュアバンド「薔薇族」にギタリストとして参加。1977年 福岡県立東筑高等学校卒業。中学と高校では楽器を持ち、ジミ・ヘンドリックスの「リトル・ウィング」をコピーして楽しんでいた〔大江慎也「気違いピエロ」(『en-taxi』19号、2007年)。〕。高校時代は勉強しなかったにもかかわらず最初は成績優秀で、「IQが試験の測定値のトップレベルを遥かに上回っている」と教師から告げられたこともあり〔大江慎也「右を下にして眠ると」(『en-taxi』18号、2007年)〕〔大江慎也「気違いピエロ」(『en-taxi』19号、2007年)。〕、九州大学・広島大学・東京大学の受験を考えていたが、やがて化粧して学校へ行ったり突然早退したり、中退を希望して1ヶ月休学したりするようになり、「大学を卒業しても結局普通の仕事に就くならあまり意味がない」との思いから大学進学をやめて音楽の道に進む〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.53-54(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。 * 人間クラブを経て1979年10月 ルースターズを結成。ボーカル・ギターを担当する * 1980年 コロムビアよりデビュー * 1982年 *石井聰亙監督の映画『爆裂都市 BURST CITY』にて俳優デビュー。劇中の架空のバンドであるバトル・ロッカーズのギタリスト、フライング風戸役として出演。 同年10月、『ニュールンベルグでささやいて』を録音し終えた後、ジャケット撮影をしたスタジオの壁に、笑みを浮かべつつ頭を打ちつけるなどの奇行が母に心配されて精神科を受診〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.84(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。神経衰弱により初めて精神科に入院し、ライブはキャンセルを余儀なくされ、 1983年6月までの半年近くにわたり音楽活動を休止〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.85(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。 * 1985年 *3月九州に戻り、福岡の精神科に入院〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.98(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。音楽活動の休養を余儀なくされる。当時は大江に無断で「ルースターズからの脱退」とアナウンスされた。退院後は1年間ほど自宅療養の日々を過ごす。 * 1987年 ソロデビュー。このころ結婚(のち離婚)。アルバイトで家庭教師や皿洗いをする。その他、運送会社の仕分けや中華料理店の調理の手伝い、便所掃除、新興住宅地の便槽掘りなどをしたこともある〔大江慎也「右を下にして眠ると」(『en-taxi』18号、2007年)〕。 * 1990年 「大江慎也+ONES」を結成 * 2000年 *福岡県遠賀郡岡垣町の母の家で暮らしていた時、激しい下血により救急車で病院に運ばれ、重度の潰瘍性大腸炎との診断を受け、大腸を全摘出され、人工肛門を形成する〔大江慎也、小松崎健郎『words for a book』p.132-134(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)〕。これにより通常のトイレでは排便困難となり、身体障害者手帳の交付を受け、人工肛門を何度も買い、2年間に3回の入院と手術を繰り返し、数百万円を費やした〔大江慎也「STORIED」(『en-taxi』20号、2007年)。〕。 * 2003年 *ルースターズ時代のメンバーにより構成されたバンドROCK'N'ROLL GYPSIESへ数曲作詞で参加。音楽活動を再開する。ROCK'N'ROLL GYPSIESでのレコ発ライブではアンコールに飛び入り参加した。 *10月新たにUNを結成する。メンバーは鶴川仁美(exザ・ロッカーズ)、小串謙一、坂田紳一(exサンハウス)。 * 2004年 *大江の活動再開を機に、周囲のルースターズ再結成への期待が高まる中、ついにルースターズでのラスト・ライブを行うことが発表される。7月 フジ・ロック・フェスティバルグリーン・ステージでのライブをもって、正式にルースターズは解散。 *10月、UNのアルバム『KNEW BUT DID NOT KNOW』を発表。ライブを数本行うも、この年をもってUNは解散。 * 2006年 *3月8日、活動再開後、初のソロアルバムとなる『THE GREATEST MUSIC』を発表。レコーディングには、花田裕之・井上富雄・池畑潤二というルースターズ時代の面々が参加した。発表直後には、発売記念インストアイベントライブを数本行い、サポートギタリストとしてアベフトシが参加した。 * 2007年 *扶桑社の文芸誌『en-taxi』に短篇小説「右を下にして眠ると」(18号)「気違いピエロ」(19号)「STORIED」(20号)を発表。 *2009年、ルースターズ名義で、福岡のホールでライブを行う。この模様は「IN THE MOTION」名で、DVD化し、発表。 *2013年、ルースターズ名義で、福岡のホールでライブを行う。この模様は「eating house」名で、DVD化し、発表。 *2013年、ライブハウスの京都の磔磔で、ソロライブを行う。 *2013年10月、ライブハウスの京都の磔磔で、ルースターズ名義で、2日間ライブを行う。この模様は「All These Blues」と名付けて、2枚組DVDで発表。 *2014年4月、ライブハウスの京都の磔磔で、ソロライブを行う。 *2014年7月、ルースターズ名義で、愛知県名古屋市のクアトロで、ライブを行う。 *2014年7月、ルースターズ名義で、北海道Join Aliveで、ライブを行う。 *2014年7月末、ルースターズ名義で、フジロックのグリーンステージで、ライブを行う。この模様はフジテレビNEXTで、1時間特別番組で、2015年1月に放映。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江慎也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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