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大江政広 : ウィキペディア日本語版
大江政広[おおえ の まさひろ]

大江 政広(おおえ の まさひろ、旧字体:政廣)は鎌倉時代前期の武将鎌倉幕府御家人。鎌倉幕府政所初代別当大江広元の曽孫。母は北条実泰の娘。妻は毛利経光の娘。寒河江氏4代。
== 生涯 ==
大江広時弘長2年(1262年)に亡くなると家督を継ぐが、寒河江荘には目代を送り自身は鎌倉にあったものとみられる。文永3年(1266年大沼大行院(山形県朝日町)に大鐘一口を奉納する。弘安の役に際しては同院で調伏を行っている。文永9年(1272年二月騒動で母方兄弟の小山氏が縁戚関係を結んでいた北条時輔が討たれる。建治元年(1275年)5月六条八幡新宮造営費用として15貫を納めた〔『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』p.390「造六条八幡新宮用途支配事」鎌倉中 少輔入道跡。大江氏一族では長井氏が180貫、毛利氏が20貫、那波氏が30貫。鎌倉住の近隣諸侯では中条氏が100貫、伊達氏が25貫、相馬氏・小野寺氏が30貫。〕
政広は建治3年(1277年)に亡くなり、跡を嫡男元顕が継いだ。嫡男元顕は弘安8年(1285年霜月騒動の結果寒河江荘に下向したとみられているが、兄弟らは小沢、古川、西目を名乗り関東地方で御家人(もしくは御内人)として居住していたとみられる〔『寒河江市史 上巻』p.491〕。小沢広顕の子らは後の正慶2年(1333年鎌倉幕府の滅亡と運命を共にしているが、広顕の孫は寒河江荘に下り後に大沼大行院を相続する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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