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大江朝綱[おおえ の あさつな]
大江 朝綱(おおえ の あさつな)は平安時代中期の公卿、学者、書家。丹後守大江玉淵の子。 同じく参議に至った祖父音人が江相公と称されたことから、後江相公と称された。 == 経歴 == 26歳で文章生に及第した頃には既に漢詩人として評価が高く、延喜8年(908年)の渤海使来朝の際に作った漢詩(「夏夜於鴻臚館餞北客」)が『本朝文粋』に採録されている。また、『江談抄』(巻4・74)には彼の漢詩(「賦置酒如淮」)に感銘した讃岐守平中興が自分の娘を娶らせたと記されている。延喜21年(921年)には最難関の方略試に及第している。諸官を歴任後、延長6年(928年)には大内記に任ぜられ、承平3年(933年)には左少弁に任ぜられて弁官に転じ、更に翌年には文章博士を兼ねた。この時期に藤原忠平に重用され、その上表文の多くを作成したとされている。天暦7年(953年)に参議に任ぜられた。 書家としての技量は小野道風と並ぶとされる。また、『新国史』の編纂員として別当にも補任された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江朝綱」の詳細全文を読む
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