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大江清通 大江 清通(おおえ の きよみち、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。参議・大江朝綱の孫。民部少輔・大江澄明の子。官位は従四位上・木工頭。 == 経歴 == 永延3年(989年)従五位下に叙爵し、翌永祚2年(990年)中宮亮に任ぜられ、中宮・藤原定子に仕える。 長徳2年(996年)に発生した長徳の変後も引き続き中宮亮を務めるが、長保2年(1000年)2月に左大臣・藤原道長の娘である彰子が中宮となると、今度はその中宮大進に転じる。なおこの任官の少し前の同年正月に放火のため清通の中御門の邸宅が焼亡している〔『権記』長保2年正月8日条〕。 長保4年(1002年)備前守として地方官の任務について朝廷に申請を行っていることや〔『権記』長保4年4月10日条〕、長保末から寛弘初頭(1003年-1005年頃)にかけて古記録類に登場しないことから、この頃地方官として下向していたと見られる。 その後、藤原道長の側近となったらしく、寛弘4年(1007年)以降、道長が方違えの際に清通の邸宅に宿泊したり〔『権記』寛弘4年10月21日条、『御堂関白記』寛仁元年正月20日,27日条等〕、寛弘8年(1011年)頃より清通が中宮亮として再び中宮・藤原彰子に仕えるなどしている。また、妻(藤原豊子)および娘(少輔の乳母)の両方が、道長の外孫である後一条天皇の乳母を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江清通」の詳細全文を読む
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