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大江 維光(おおえ の これみつ、天仁3年(1110年) - 承安5年1月18日(1175年2月10日))は平安時代の貴族。権中納言大江匡房の孫で、肥後守大江維順(大江匡時)の子。従四位上・式部大輔。 文章生から方略試に及第し、式部少輔、式部大輔等を歴任。紀伝道の大家として評判が高かった。 == 系譜 == * 父:大江維順 * 母:不詳 * 生母不明 * 男子:大江匡範(1140年-1203年) - 子孫は北小路家(半家) * 男子:大江時房 * 男子:秀厳 - 若宮別当 * 女子:藤原仲教室 * 女子:藤原重保室 - 水谷重清母 * 養子:大江親光 - 実は中原広忠の子〔『諸家系図纂』〕 * 養子:大江広元〔広元の出自は諸書に異同があり、正確なことは不明。『中原家系図』(『続群書類従』所収):中原広季の四男。『尊卑分脈』:維光の実子で中原広季が養子とした。『江氏家譜』:藤原光能の子。〕(1148年 - 1225年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江維光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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