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大沢基之 : ウィキペディア日本語版
大沢基之[おおさわ もとゆき]
大沢 基之(おおさわ もとゆき、宝暦10年(1760年) - 文政5年6月1822年))は、江戸時代高家旗本近藤英用の六男。生母は継室の米津政容の娘。初名は定興、基利。通称は乙二郎、右京。官位は従四位上侍従・右京大夫。
正妻は大沢定寧の長女。長男基栄(もとたか、相模守。室は藤堂高嶷の娘。父に先立ち文政3年(1820年)8月没)、二男基昭ら四男あり。
安永5年(1776年)12月14日大沢定寧の死去により、末期養子として家督を相続する。実父英用は大沢基隆の次男であり、定寧の叔父であった。安永9年(1780年)11月18日将軍徳川家治に御目見する。寛政元年(1789年)7月1日菊間詰となる。寛政4年(1792年)12月16日高家見習に召しだされて、従五位下侍従・右京大夫に叙任する。寛政6年(1794年)8月21日、高家職に就く。文化13年(1816年)5月21日、従四位下に昇進する。文化14年6月21日、高家肝煎に就任する。文化15年1月17日、従四位上に昇進する。文政5年(1822年)6月18日死去、63歳。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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