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大沢村立大沢国民学校 : ウィキペディア日本語版
仙台市立大沢小学校[せんだいしりつ おおさわしょうがっこう]

仙台市立大沢小学校(せんだいしりつ おおさわしょうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区芋沢にある公立小学校
1873年芋沢小学校(いもざわしょうがっこう)として設けられ、1889年に大沢小学校に改称した。
== 歴史 ==
芋沢村では、江戸時代の安政年間から1873年まで菊地助一郎が寺子屋で子供たちを教えていた〔『宮城町誌』本編(改訂版)383頁。以下多くは同書413-421頁の年表による。〕。
1873年(明治6年)6月30日に、芋沢村を第7大学区第1中学区第19小学区として、学制にもとづく芋沢小学校が開校した〔『宮城町誌』本編(改訂版)393頁。〕。開校時の校長心得は菊地清一で、生徒は75人いた。学校ははじめ長泉寺に置かれ、1881年(明治14年)に、宇那禰神社の旧道場を校舎にした。
芋沢村は面積が広く、小学校の位置はその中で北東に偏っていたので、創立の翌1874年に赤坂に川前分教場を置いた。西隣の大倉村には、芋沢小と同じ年に大倉小学校が設立された。1889年4月に芋沢村と大倉村が合併すると、芋沢尋常小学校を大沢尋常小学校と改称し、大倉尋常小学校はその分教場(分校)になった。大倉小学校は1898年に再び独立した小学校になった。川前分教場は、1885年から1887年に分立してからまた分教場になったが、1941年に再び分離して、川前小学校になった。分教場のまま推移したのは芋沢の南東部に置かれた大竹分教場と、南西部に置かれた苦地分教場で、ともに1899年に設置された。大竹分校は1968年に廃止された。苦地分教場は、上川前分教場と改称してから川前小学校の分立のときにその下に付き、1969年に廃止された。
1886年(明治19年)の小学校令で、小学校が尋常小学校高等小学校の2段階になった際、芋沢小学校は尋常小学校になった。1923年(大正12年)に高等科を併設した。1929年(昭和4年)7月に木造2階の校舎を作って現在地に移転した。当時の生徒数は445人であった。
第2次世界大戦中の1941年に、小学校の名を廃して国民学校と改めた。戦後の1947年学校教育法によって小学校に戻った。同時に新しく設けられた大沢中学校は、しばらくの間大沢小学校の教室を使っていた。
1955年に251人、1975年に148人と生徒数は減少傾向にあったが、その後住宅団地の造成によって急増した。1974年に鉄筋コンクリート2階の校舎を新築した。1982年に鉄筋コンクリート3階の西校舎を増設し、これに1988年に東校舎を継ぎ足した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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