翻訳と辞書
Words near each other
・ 大河内秀綱
・ 大河内美紗
・ 大河内英樹
・ 大河内記念会
・ 大河内記念技術賞
・ 大河内記念財団
・ 大河内記念賞
・ 大河内豊貫
・ 大河内貞綱
・ 大河内賞
大河内輝剛
・ 大河内輝声
・ 大河内輝耕
・ 大河内郵便局
・ 大河内郵便局 (兵庫県)
・ 大河内重綱
・ 大河内金兵衛
・ 大河内雅子
・ 大河内顕雅
・ 大河内駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大河内輝剛 : ウィキペディア日本語版
大河内輝剛[おおこうち てるたけ]
大河内 輝剛(おおこうち てるたけ、1855年1月16日安政元年11月28日) - 1909年明治42年)10月9日)は、日本の明治期の教育者、軍人、実業家、衆議院議員、歌舞伎座社長。勲六等
== 経歴 ==
高崎藩主・松平輝聴の次男として生まれる。1871年(明治4年)頃、藩士宮部譲らと共に脱藩し鹿児島に行こうとしたが、江戸で藩兵に捕らえられ、高崎に護送されて城外の威徳寺に幽閉される。1873年(明治6年)上京して慶應義塾に入り、そののち塾監教師となる。
1886年(明治19年)広島師範学校校長に任命され、1892年(明治25年)に日本郵船会社へ勤務。近藤廉平の代理として大本営の御用を務める。1896年(明治29年)イギリス、ドイツなどを視察。1902年(明治35年)に衆議院議員に当選(以後当選2回)。1906年歌舞伎座社長となるが在任中に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大河内輝剛」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.