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大河平才蔵
大河平 才蔵(おこひら さいぞう)は、大日本帝国海軍の軍人、海軍大技監。従五位。 1882年(明治15年)東京築地海軍兵器製造所内において、日本初の近代洋式製鋼技術により鋼の生産に成功。鋼の化学分析の創始者。日本の近代洋式製鋼技術の礎を築いた。キリスト教徒。1884年(明治27年)5月18日没。 == 生い立ちと少年時代 == 大河平才蔵は幕末、都城(現宮崎県えびの市)、薩摩藩士族大河平家に生まれた。大河平家は古くは日向国の士族であるが、江戸時代後期には薩摩藩島津家に代々仕え島津家の要職を務めており、才蔵の父は島津家の祐筆であったと言われている。後の海軍元帥東郷平八郎は従兄弟にあたる。東郷は大河平より年長だが、二人は親しく交際し、大河平の人生に少なからず影響を与えた。 大河平の親戚縁者の中には幕末に藩の留学生としてイギリスで学ぶ者、江戸へ出て学問に励む者がいた。 1871年(明治4年)10月、大河平も東京留学〔明治初期、各分野に各藩から選ばれた者が、東京へ学びに行った。このことを東京留学と言った。〕となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大河平才蔵」の詳細全文を読む
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