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大河平隆利 : ウィキペディア日本語版
大河平隆利[おこびら たかとし]

大河平 隆利(おこびら たかとし)は戦国時代日向国北原氏家臣で、大河平氏2代当主。
大河平氏は、元は菊池氏庶流八代氏で、肥後国八代に在ったが、大友氏による逼迫に耐えかね日向国の北原氏を頼り従属、隆利の祖父で大河平氏の祖となる隆屋真幸院の大河平(現:宮崎県えびの市大河平)に移り住んだのが始まりである。永禄5年(1562年)にその隆屋が死去、父の隆充も永禄2年(1559年)に既に病死していたことから隆利が後を継いだ。
この頃、既に主家であった北原氏は、日向国山東の伊東義祐に家を乗っ取られており、隆利は薩摩国島津義弘に誼を通じるようになった。これに対し伊東義祐は、家臣伊東杢右衛門を大河平氏の住まう大河平城に遣わし、隆利を調略しようとする。隆利がこれを断ると、杢右衛門はその晩に、潜ませていた450余名を率いて150名足らずが守る大河平城を夜襲する。大河平城は堅城ではないものの隆利はこれを防ぎきり、朝方に城を開いて打って出ると10余名を失ったものの、伊東勢50余名を討ち取りこれを退散せしめた。隆利はこの功により、島津義弘より鍋・灰塚・榎田の地、計2000石を賜り、更に大河平城の西の要害の地に新城を作るよう申し渡された。それが後の大河平氏の本城となる今城である。
しかし、翌永禄6年(1563年)、隆利は病により急死した。享年28。隆利には子がなく、また次弟の隆豊も既に戦死しており、末弟の隆次が後を継いだ。
==参考文献==

*『えびの市史 上巻』(えびの市郷土史編さん委員会編)
*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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