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大沼 義之助(おおぬま よしのすけ、1915年〈大正4年〉3月7日 - 1996年〈平成8年〉5月26日)は、日本の造り酒屋経営者。千代寿虎屋酒造社長(第2代)・会長。山形県酒造組合理事。寒河江酒造組合理事長。寒河江市消防団長(初代)。寒河江市選挙管理委員会委員長(第2代・7期)。社団法人寒河江法人会会長(初代)。寒河江ロータリークラブ会長(初代、第2代)。 == 来歴 == * 1915年(大正4年)3月7日 - 虎屋本店8代目当主・父:大沼保吉と母:セイの次男として生まれる。 * 1922年(大正11年) - 虎屋本店が寒河江町の倒産した造り酒屋「石山佐助」の酒造工場を買収して虎屋第三酒造場として創業。 * 山形市立商業学校(後の山形市立商業高等学校)卒業 * 1933年(昭和8年) - 虎屋第三酒造場 就職 * 1935年(昭和10年) - 虎屋第三酒造場 主任 * 1939年(昭和14年)7月5日 - 鈴木秀治郎の二女・鈴木ミキヲと結婚。 * 1940年(昭和15年)12月9日 - 寒河江町に分家する。 * 12月25日 - 虎屋第三酒造場を虎屋より分離独立させ「虎屋寒河江酒造場」と改名。経営者となる。 * 1947年(昭和22年)10月1日 - 寒河江町消防団第一分団自動車部所属となり、寒河江町消防団団長就任。 * 1952年(昭和27年) - 「千代寿」の商標を登録。 * 1953年(昭和28年)2月1日 - 合資会社虎屋寒河江酒造を設立し代表社員就任 * 1954年(昭和29年) - 市制施行に伴い寒河江市消防団が発足し初代団長就任(1959年〈昭和34年〉11月10日まで) * 1959年(昭和34年)9月10日 - 寒河江ロータリークラブ初代会長就任 * 1960年(昭和35年) - 社名を虎屋酒造合資会社に変更する。 * 5月 - 寒河江西村山法人会会長就任(1986年〈昭和61年〉8月まで) * 7月1日 - 寒河江ロータリークラブ第2代会長就任(1961年〈昭和36年〉6月30日まで) * 8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長初選任 * 1961年(昭和36年) - 焼酎の生産を停止する。 * 7月1日 - 寒河江ロータリークラブ副会長就任(以後1963年、1969年、1979年にも副会長を務めた。) * 1962年(昭和37年)10月22日 - 午前8時30分、父:大沼保吉死去。 * 1963年(昭和38年)8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長2期連続選任 * 1967年(昭和42年)8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長3期連続選任 * 1970年(昭和45年) - 寒河江ロータリークラブ幹事就任 * 1971年(昭和46年) - 国際ロータリークラブ第353地区中央分区代理(後のガバナー補佐に相当)就任 * 8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長4期連続選任 * 1972年(昭和47年) - 山形県酒造組合理事就任(1974年〈昭和49年〉まで) * 1975年(昭和50年)8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長5期連続選任 * 1979年(昭和54年)8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長6期連続選任 * 1983年(昭和58年)8月2日 - 寒河江市選挙管理委員会委員長7期連続選任(1987年〈昭和62年〉8月1日まで) * 1984年(昭和59年)10月 - 社名を千代寿虎屋酒造合資会社に変更し会長就任。長男の大沼保義は社長となる。 * 1986年(昭和61年)10月 - 社団法人寒河江法人会初代会長就任(1993年〈平成5年〉8月まで) * 1996年(平成8年)5月26日 - 死去。満年齢81才。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大沼義之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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